宮脇綾子(1905-1995)は身近なモノを対象に、布と紙で美しく親しみやすい作品を生み出しました。アプリケ、コラージュ、手芸などに分類されてきた彼女の作品は、しかしいずれの枠にも収まりきらない豊かな世界をつくり上げています。モティーフにしたのは野菜や魚など、主婦として毎日目にしていたもの。それらを徹底的に観察し、時に割って断面をさらし、分解して構造を確かめる。たゆまぬ研究の果てに生み出された作品は、造形的に優れているだけでなく、高いデザイン性と繊細な色彩感覚に支えられ、いのちの輝きを見事に表現しています。
本展では、宮脇綾子をひとりの優れた造形作家として捉え、約150点の作品と資料を造形的な特徴に基づいて8章に分類・構成していきます。美術史のことばを使って分析することで、宮脇綾子の芸術に新たな光を当てようとする試みです。
自分の力によって創り出したものは、まことに尊いものだと言えます
―――――宮脇綾子『私の創作アップリケ 藍に魅せられて』より
観察と写実
宮脇綾子は見ることを大切にしていました。その制作は、まずモノを徹底的に観察するところから始まります。形や色だけでなく、個々のパーツや構造まで、しつこく観察が続けられるのです。時には植物の葉や花の額などを取り外して、その付き方を研究することもありました。エビやカニをもらっても、料理の前にこの観察が始まるので、家族はお預けをくらうことがあったといいます。布を縫い付けるという、描くよりもずっと不自由な方法をとりながら、宮脇の作品が優れた写実性を有しているのは、この観察眼のためなのです。
断面と展開
果実や野菜などの断面は宮脇のお気に入りでした。カボチャ、冬瓜、スイカ、タマネギ、ピーマンなど、ふたつに割られた食材は数知れません。料理をしようと半分にした時に、その断面を美しいと感じることがよくあったようです。また彼女は、魚や鳥などの表と裏を対として、あるいはさまざまな角度から見た姿を並べて表現することもありました。その根底には探求心があったのでしょう。こうした作品からは、表現する対象のすべてを知り尽くしたいという気持ちが感じられますが、それはアーティストの本能といえるかもしれません。
多様性
自然の中に存在する植物や動物の個体には、ひとつとして同じものはありません。観察の人であり、探究心の塊だった宮脇はそのことをよく知っており、それを人一倍面白いと思っていました。彼女の作品には、生物の多様性が息づいているのです。ワラビやゼンマイの茎葉の巻き具合、イカの干物や干し柿などの色やかたちの微妙な変化を、宮脇の眼は見逃しません。こうした多様性の表現は、鋭い観察眼と飽くなき探究心によるものであったことは確かですが、同時に主婦として日々食材を扱う生活から生み出されたものでもありました。
素材を活かす
宮脇は素材にこだわり、好みの古裂を探して骨董屋や骨董市めぐりをしていました。業者から使い古された布を引き取り、またさまざまな布を持ってきてくれる知人も多くいたようです。子どものころ貧乏だったことや、姑がモノを大切にする人だったことの影響で、どんなハギレも捨てられないと宮脇は書いています。彼女の関心は、貴重な古裂だけでなく、レースやプリント生地をはじめ、洗いざらしのタオル、古くなった柔道着、使用後の布製のコーヒーフィルター、さらに石油ストーブの芯まで、あらゆる素材に向けられていたのです。
模様を活かす
宮脇が作品に用いた布にはさまざまな柄のものがありました。伝統的な吉祥紋から、藍染の縞柄や格子柄、紅型の大胆でカラフルな文様などだけでなく、プリントされた花柄や松竹梅の文様まで、あらゆる柄や模様が宮脇の作品には使われています。こうした模様を巧みに組み合わせて、写実的な作品を作り上げることも珍しくありませんでした。龍の文様がオコゼの刺々しい様子を見事に表現していたり、印半纏の幾何学的な柄が竹の子の皮に見立てられていたりするのを見ると、宮脇マジックと呼びたくなります。
模様で遊ぶ
布の模様を写実的な表現に巧みに利用する一方で、宮脇は模様それ自体の面白さをそのまま活かして、大胆な造形をつくり出すこともありました。模様を見ながら、何をつくろうかと考えることもあると言っていた宮脇にとって、模様は制作するための要素のひとつであっただけでなく、インスピレーションの源でもあったのです。宮脇の作品の中には、写実を離れて、自由に模様で遊んだ作品が少なくありません。モティーフの本来の柄とはかけ離れた模様が予想外の面白さをつくり出し、独自の作品世界をつくり上げているのです。
線の効用
宮脇の作品は、布を縫い合わせることによってつくり出されています。つまり対象を面の集まりとして全体を構成していくのですが、そこに紐や糸による線を加えることによって、彼女の作品は大きな表現の幅をもつことになりました。植物の根や細い茎などの繊細な描写が可能になっただけでなく、透明なガラスの器を表現することができるようになったのです。それは根や芽の生命力に強い関心をもっていた宮脇には重要なことでした。新芽や伸びる根の様子を観察するのに、水を張ったガラスの器ほどふさわしいものはないからです。
デザインへの志向
宮脇は、デザイン的な傾向を強く感じさせる作品を数多く制作しています。こうした作品ではしばしば、大胆な単純化やデフォルメ(誇張)がおこなわれ、また同じモティーフを反復したり、逆に異なるモティーフを羅列したりするなど、写実的な表現とは違う手法が用いられます。デザインとは、奇をてらったり装飾的な細部を付け加えたりすることなのではなく、自然を観察して、そこから本質的な形を汲みだし、それをある秩序にしたがって配置していくことであるとするならば、宮脇綾子の作品は優れてデザイン的であるといえるでしょう。
宮脇綾子 略歴
1905 東京の田端で生まれる。
1927 22歳 愛知県名古屋市在住の洋画家、宮脇晴と結婚する。
1945 40歳 終戦。好きな仕事である縫い物を活かしたアプリケ制作を始める。
1952 47歳 初個展「宮脇綾子布絵作品展」(青柳ギャラリー、名古屋)を開催。
1953 48歳 第27回国画会工芸部に《百日草》が初入選。1962年頃まで、国画会を中心にさまざまな展覧会に出品を続ける。
1960 55歳 「アップリケ綾の会」を結成し主宰する。
1983 78歳 テレビ番組「徹子の部屋」に出演。
1984 79歳 「宮脇綾子アプリケ展」(西宮市大谷記念美術館)。
1988 83歳 「宮脇綾子自選展―布切れの芸術」展(日本橋高島屋ほか、全国14会場を巡回)。
1991 86歳 ワシントン女性芸術美術館で個展「AYAKO MIYAWAKI――The Art of Japanese Appliqué」を開催。
1995 90歳 名古屋市の自宅にて没。
本展では、宮脇綾子をひとりの優れた造形作家として捉え、約150点の作品と資料を造形的な特徴に基づいて8章に分類・構成していきます。美術史のことばを使って分析することで、宮脇綾子の芸術に新たな光を当てようとする試みです。
自分の力によって創り出したものは、まことに尊いものだと言えます
―――――宮脇綾子『私の創作アップリケ 藍に魅せられて』より
観察と写実
宮脇綾子は見ることを大切にしていました。その制作は、まずモノを徹底的に観察するところから始まります。形や色だけでなく、個々のパーツや構造まで、しつこく観察が続けられるのです。時には植物の葉や花の額などを取り外して、その付き方を研究することもありました。エビやカニをもらっても、料理の前にこの観察が始まるので、家族はお預けをくらうことがあったといいます。布を縫い付けるという、描くよりもずっと不自由な方法をとりながら、宮脇の作品が優れた写実性を有しているのは、この観察眼のためなのです。
断面と展開
果実や野菜などの断面は宮脇のお気に入りでした。カボチャ、冬瓜、スイカ、タマネギ、ピーマンなど、ふたつに割られた食材は数知れません。料理をしようと半分にした時に、その断面を美しいと感じることがよくあったようです。また彼女は、魚や鳥などの表と裏を対として、あるいはさまざまな角度から見た姿を並べて表現することもありました。その根底には探求心があったのでしょう。こうした作品からは、表現する対象のすべてを知り尽くしたいという気持ちが感じられますが、それはアーティストの本能といえるかもしれません。
多様性
自然の中に存在する植物や動物の個体には、ひとつとして同じものはありません。観察の人であり、探究心の塊だった宮脇はそのことをよく知っており、それを人一倍面白いと思っていました。彼女の作品には、生物の多様性が息づいているのです。ワラビやゼンマイの茎葉の巻き具合、イカの干物や干し柿などの色やかたちの微妙な変化を、宮脇の眼は見逃しません。こうした多様性の表現は、鋭い観察眼と飽くなき探究心によるものであったことは確かですが、同時に主婦として日々食材を扱う生活から生み出されたものでもありました。
素材を活かす
宮脇は素材にこだわり、好みの古裂を探して骨董屋や骨董市めぐりをしていました。業者から使い古された布を引き取り、またさまざまな布を持ってきてくれる知人も多くいたようです。子どものころ貧乏だったことや、姑がモノを大切にする人だったことの影響で、どんなハギレも捨てられないと宮脇は書いています。彼女の関心は、貴重な古裂だけでなく、レースやプリント生地をはじめ、洗いざらしのタオル、古くなった柔道着、使用後の布製のコーヒーフィルター、さらに石油ストーブの芯まで、あらゆる素材に向けられていたのです。
模様を活かす
宮脇が作品に用いた布にはさまざまな柄のものがありました。伝統的な吉祥紋から、藍染の縞柄や格子柄、紅型の大胆でカラフルな文様などだけでなく、プリントされた花柄や松竹梅の文様まで、あらゆる柄や模様が宮脇の作品には使われています。こうした模様を巧みに組み合わせて、写実的な作品を作り上げることも珍しくありませんでした。龍の文様がオコゼの刺々しい様子を見事に表現していたり、印半纏の幾何学的な柄が竹の子の皮に見立てられていたりするのを見ると、宮脇マジックと呼びたくなります。
模様で遊ぶ
布の模様を写実的な表現に巧みに利用する一方で、宮脇は模様それ自体の面白さをそのまま活かして、大胆な造形をつくり出すこともありました。模様を見ながら、何をつくろうかと考えることもあると言っていた宮脇にとって、模様は制作するための要素のひとつであっただけでなく、インスピレーションの源でもあったのです。宮脇の作品の中には、写実を離れて、自由に模様で遊んだ作品が少なくありません。モティーフの本来の柄とはかけ離れた模様が予想外の面白さをつくり出し、独自の作品世界をつくり上げているのです。
線の効用
宮脇の作品は、布を縫い合わせることによってつくり出されています。つまり対象を面の集まりとして全体を構成していくのですが、そこに紐や糸による線を加えることによって、彼女の作品は大きな表現の幅をもつことになりました。植物の根や細い茎などの繊細な描写が可能になっただけでなく、透明なガラスの器を表現することができるようになったのです。それは根や芽の生命力に強い関心をもっていた宮脇には重要なことでした。新芽や伸びる根の様子を観察するのに、水を張ったガラスの器ほどふさわしいものはないからです。
デザインへの志向
宮脇は、デザイン的な傾向を強く感じさせる作品を数多く制作しています。こうした作品ではしばしば、大胆な単純化やデフォルメ(誇張)がおこなわれ、また同じモティーフを反復したり、逆に異なるモティーフを羅列したりするなど、写実的な表現とは違う手法が用いられます。デザインとは、奇をてらったり装飾的な細部を付け加えたりすることなのではなく、自然を観察して、そこから本質的な形を汲みだし、それをある秩序にしたがって配置していくことであるとするならば、宮脇綾子の作品は優れてデザイン的であるといえるでしょう。
宮脇綾子 略歴
1905 東京の田端で生まれる。
1927 22歳 愛知県名古屋市在住の洋画家、宮脇晴と結婚する。
1945 40歳 終戦。好きな仕事である縫い物を活かしたアプリケ制作を始める。
1952 47歳 初個展「宮脇綾子布絵作品展」(青柳ギャラリー、名古屋)を開催。
1953 48歳 第27回国画会工芸部に《百日草》が初入選。1962年頃まで、国画会を中心にさまざまな展覧会に出品を続ける。
1960 55歳 「アップリケ綾の会」を結成し主宰する。
1983 78歳 テレビ番組「徹子の部屋」に出演。
1984 79歳 「宮脇綾子アプリケ展」(西宮市大谷記念美術館)。
1988 83歳 「宮脇綾子自選展―布切れの芸術」展(日本橋高島屋ほか、全国14会場を巡回)。
1991 86歳 ワシントン女性芸術美術館で個展「AYAKO MIYAWAKI――The Art of Japanese Appliqué」を開催。
1995 90歳 名古屋市の自宅にて没。
作家・出演者 | 宮脇綾子 |
会場 | 東京ステーションギャラリー |
住所 | 100-0005 東京都千代田区丸の内1-9-1 |
アクセス | 東京駅(JR)丸の内北口 徒歩0分 東京駅(東京メトロ丸の内線) 徒歩3分 大手町駅(東京メトロ東西線) 徒歩5分 二重橋前駅(東京メトロ千代田線) 徒歩7分 |
会期 | 2025/01/25(土) - 03/16(日) |
時間 | 10:00-18:00 ※金曜日は20:00まで開館 ※入館はいずれも閉館30分前まで |
休み | 月曜日、2/25(火) ※ただし、2/24(月)、3/10(月)は開館 |
観覧料 | 一般 1,300円 高校・大学生 1,100円 中学生以下 無料 ※障がい者手帳等持参の方は200円引き(介添者1名は無料) ※オンライン www.e-tix.jp/ejrcf_gallery/ (前売券・当日券)または当館1階入口(当日券)でチケット販売 |
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