当館は1975年11月25日、新橋日比谷通りに面した松岡田村町ビル内に開館しました。初代館長 松岡清次郎(1894・明治27-1989・平成元)は20代半ばより骨董に目覚め、半生をかけて2,400点余りの美術品を蒐集しました。
美術品との出会いは、まさに一期一会。またオークションでは、一度に出品される品々は300~400点にものぼります。その数多の美術品から自らの眼に適った作品を選んでいくのです。そうした幾度もの機会の中で、松岡は数点を取得することもあれば、関心を寄せるに至らなかったこともありました。美術品を選りすぐる判断基準は、あたかもコレクターが《アート》に呼ばれたかのようにも思えます。開館50周年企画の第3弾は松岡の人となりにふれつつ、白金台移転後はご紹介する機会のなかった作品も含めた幅広いジャンルのコレクションをお楽しみいただくものです。
本展の見どころ
1.西洋絵画の本格的蒐集のきっかけとなった1980年のオークション落札作品
1969年(昭和44)、海外のオークション会社による日本で初めての美術品公開オークションが東京で開催されました。この熱気に包まれた会場で当時75歳の松岡は陶磁器と西洋画を入手しましたが、本格的に印象派やエコール・ド・パリの作品に関心を抱いたのは1980年にホテルオークラが会場となった「19世紀・印象派・20世紀絵画・版画・彫刻」のオークション以降で、1983年から最晩年まで毎年ニューヨークやロンドンのオークションに参加し、総数130点余りのコレクションを形成しました。今回は本格的蒐集の端緒となった1980年取得のフランス近代絵画、ヴィクトリア朝イギリス絵画をご紹介します。
2.白金台移転後、初めての出品となるロマンあふれる品々
明治生まれの人の異国への憧れやロマンチシズムは、現代の私たちの感覚とは比較にならないほど強いものだったに違いなく、「何故か自分でもよくわからないが若い時分から美術品が好きだった」という松岡の蒐集は、陶磁器や絵画以外にも青銅器、中国の鏡、玉器、漆器、七宝、金銅仏、彫刻(石像・木造・ブロンズ)、能面、矢立や刀装具、少数ながら古代ガラスにも及びます。今回は、そうしたジャンルに納まらない、或いは点数が少ないなどの理由から、白金台移転後は公開されていない品々をこの機会に披露いたします。
3.実業家でありコレクターであった初代館長 松岡清次郎とは?
創作活動に人柄がにじみ出るように、一人の人物が作り上げたコレクションには、その人の個性があらわれるのではないでしょうか。そのひとつが、先にも触れましたコレクションの幅の広さです。これは松岡がチャレンジ精神や好奇心の強さから様々な美術品に関心を寄せたことを物語っています。また、絵画では人物を主題とした作品が多く、実業家として人との関わりは欠かせないことではありますが、本質的に人が好きだったようです。多忙な事業の傍ら美術品の蒐集にかける情熱は、仕事同様に懸命でファイティングスピリットにあふれていました。本展では様々なコレクションをご覧いただきながら、松岡の人となりをご紹介します。
トピックス
埋もれていた釉裏紅の壺
現在、美術品として扱われている多くの品々は、これまでにどのような運命をたどってきたのでしょう。長い年月を経て、破損の憂き目にあわずにきたものでも、本来の場所を離れて人から人へと渡るうちに、真価のわからぬまま埋もれてしまうこともあるでしょう。この作品は、英国のさる伯爵家の洗面所で屑籠代わりに使用されているのを偶然発見され、1979年のオークションにかけられて松岡の所有するところとなった壺です。明時代初期の釉裏紅磁は数が少ないうえ、発色も見事で大きな話題を呼びました。
古代エジプトの王女頭部像
摩耗しているものの、きりっとした面立ちの王女像です。紀元前14世紀、第18王朝のアメンホテプ4世は国家神アメンに仕える神官集団の一大勢力をそぐため、エジプト中部のアマルナへの遷都を決行し、それまでの多神教から太陽神アテンを唯一神と定める大胆な宗教改革を行なって王権の強化を図りました。この頭部像はアマルナ旧都の境界を定める数々の境界碑のうちの1基に属していた王女像に由来するものです。それらは碑文の脇に父王アメンホテプ4世と母妃ネフェルティティ、そして2人の王女(メリトアテンとメケトアテン)ら王家の群像が高浮彫であらわされていました。碑文を欠くこの像がどちらの王女なのか確認できませんが、肥大化した頭部などアマルナ美術の特徴を示しています。ちなみに、ツタンカーメンは姉妹の母違いの弟にあたります。
展示構成
1.異国への憧憬
松岡は1894年(明治27)、築地小田原町(現在の中央区築地)に生れました。1899年まで外国人居留地だった隣町の築地明石町で小学生の頃から英語を学び、早くから外国人と接触があったためか、商業学校を卒業すると銀座の貿易商に勤めています。そして数年後、独立して自ら海外との取引を始めました。いわば幼年期から世界を意識するようになったことが、古今東西の美に対する関心へとつながっていったのでしょう。多忙な経営の傍ら日本画などを蒐集していた当初の時期を経て、海外の美術品を追うようになった1969年から1975年にかけて取得したギリシアの《黄金花冠》(紀元前4世紀頃)、《ペルシアの兜》(19世紀)(白金台では初展示)などを出品します。
2.ホスピタリティ
23歳で独立した松岡の事業は順調に進み、大正末期の30代頃から経営の多角化を進め、第二次世界大戦を乗り越えたのでした。平和な時代が訪れると、美術品の売り立ても活発になっていきました。今ほど気軽に渡航できなかった時代、もっぱら書物で触れる古代文明の遺物などを眼前で鑑賞できるようにとの心づもりから、美術館開設後の松岡は古代エジプトやギリシア・ローマの古代遺物、さらには西洋の陶磁器に魅かれていきます。ここでは《バステト女神》、《アフロディテ像》や白金台では初めての展示となるマジョリカ陶器といった品々と、コレクターとして松岡が最も力を入れた中国陶磁器をご紹介します。
3.人との関わり
実業家として経営を続けていく上で「人」との関わりは欠かせない要素であり、公私ともに大きな影響をもたらしたことでしょう。館蔵品には人物を主題とした作品が殊のほか多く、本質的に人と関わることが好きだったのだと思われます。美大系予備校を開校して以降は講師陣との交流を通して、毎年のように海外オークションと掛け持ちで日展や院展といった団体展を訪れるようになり、生命感あふれる作品や人生の機微をとらえた情感豊かな人物画などを選んでいます。ここでは晩年になってから熱心に蒐集した1970年代~80年代の額装作品をご覧いただきます。
4.西洋画本格蒐集の始まりとなる1980年のオークション取得作品より
現在の当館は、東洋陶磁よりもフランス印象派やエコール・ド・パリの画家たちの作品で親しまれているかもしれませんが、松岡が本格的に西洋画を蒐集し始めるのは亡くなる9年前の1980(昭和55)年でした。その時以来、海外へ中国陶磁を求めに行きながらフランス近代絵画も入手するようになり、最終的に130点ほどのコレクションとなります。今回は、ペルジーニ《束の間の喜び》、ブーグロー《編み物をする少女》、シャガール《婚約者》など1980年に日本で開催されたオークションでの取得作品から13点を出品します。
美術品との出会いは、まさに一期一会。またオークションでは、一度に出品される品々は300~400点にものぼります。その数多の美術品から自らの眼に適った作品を選んでいくのです。そうした幾度もの機会の中で、松岡は数点を取得することもあれば、関心を寄せるに至らなかったこともありました。美術品を選りすぐる判断基準は、あたかもコレクターが《アート》に呼ばれたかのようにも思えます。開館50周年企画の第3弾は松岡の人となりにふれつつ、白金台移転後はご紹介する機会のなかった作品も含めた幅広いジャンルのコレクションをお楽しみいただくものです。
本展の見どころ
1.西洋絵画の本格的蒐集のきっかけとなった1980年のオークション落札作品
1969年(昭和44)、海外のオークション会社による日本で初めての美術品公開オークションが東京で開催されました。この熱気に包まれた会場で当時75歳の松岡は陶磁器と西洋画を入手しましたが、本格的に印象派やエコール・ド・パリの作品に関心を抱いたのは1980年にホテルオークラが会場となった「19世紀・印象派・20世紀絵画・版画・彫刻」のオークション以降で、1983年から最晩年まで毎年ニューヨークやロンドンのオークションに参加し、総数130点余りのコレクションを形成しました。今回は本格的蒐集の端緒となった1980年取得のフランス近代絵画、ヴィクトリア朝イギリス絵画をご紹介します。
2.白金台移転後、初めての出品となるロマンあふれる品々
明治生まれの人の異国への憧れやロマンチシズムは、現代の私たちの感覚とは比較にならないほど強いものだったに違いなく、「何故か自分でもよくわからないが若い時分から美術品が好きだった」という松岡の蒐集は、陶磁器や絵画以外にも青銅器、中国の鏡、玉器、漆器、七宝、金銅仏、彫刻(石像・木造・ブロンズ)、能面、矢立や刀装具、少数ながら古代ガラスにも及びます。今回は、そうしたジャンルに納まらない、或いは点数が少ないなどの理由から、白金台移転後は公開されていない品々をこの機会に披露いたします。
3.実業家でありコレクターであった初代館長 松岡清次郎とは?
創作活動に人柄がにじみ出るように、一人の人物が作り上げたコレクションには、その人の個性があらわれるのではないでしょうか。そのひとつが、先にも触れましたコレクションの幅の広さです。これは松岡がチャレンジ精神や好奇心の強さから様々な美術品に関心を寄せたことを物語っています。また、絵画では人物を主題とした作品が多く、実業家として人との関わりは欠かせないことではありますが、本質的に人が好きだったようです。多忙な事業の傍ら美術品の蒐集にかける情熱は、仕事同様に懸命でファイティングスピリットにあふれていました。本展では様々なコレクションをご覧いただきながら、松岡の人となりをご紹介します。
トピックス
埋もれていた釉裏紅の壺
現在、美術品として扱われている多くの品々は、これまでにどのような運命をたどってきたのでしょう。長い年月を経て、破損の憂き目にあわずにきたものでも、本来の場所を離れて人から人へと渡るうちに、真価のわからぬまま埋もれてしまうこともあるでしょう。この作品は、英国のさる伯爵家の洗面所で屑籠代わりに使用されているのを偶然発見され、1979年のオークションにかけられて松岡の所有するところとなった壺です。明時代初期の釉裏紅磁は数が少ないうえ、発色も見事で大きな話題を呼びました。
古代エジプトの王女頭部像
摩耗しているものの、きりっとした面立ちの王女像です。紀元前14世紀、第18王朝のアメンホテプ4世は国家神アメンに仕える神官集団の一大勢力をそぐため、エジプト中部のアマルナへの遷都を決行し、それまでの多神教から太陽神アテンを唯一神と定める大胆な宗教改革を行なって王権の強化を図りました。この頭部像はアマルナ旧都の境界を定める数々の境界碑のうちの1基に属していた王女像に由来するものです。それらは碑文の脇に父王アメンホテプ4世と母妃ネフェルティティ、そして2人の王女(メリトアテンとメケトアテン)ら王家の群像が高浮彫であらわされていました。碑文を欠くこの像がどちらの王女なのか確認できませんが、肥大化した頭部などアマルナ美術の特徴を示しています。ちなみに、ツタンカーメンは姉妹の母違いの弟にあたります。
展示構成
1.異国への憧憬
松岡は1894年(明治27)、築地小田原町(現在の中央区築地)に生れました。1899年まで外国人居留地だった隣町の築地明石町で小学生の頃から英語を学び、早くから外国人と接触があったためか、商業学校を卒業すると銀座の貿易商に勤めています。そして数年後、独立して自ら海外との取引を始めました。いわば幼年期から世界を意識するようになったことが、古今東西の美に対する関心へとつながっていったのでしょう。多忙な経営の傍ら日本画などを蒐集していた当初の時期を経て、海外の美術品を追うようになった1969年から1975年にかけて取得したギリシアの《黄金花冠》(紀元前4世紀頃)、《ペルシアの兜》(19世紀)(白金台では初展示)などを出品します。
2.ホスピタリティ
23歳で独立した松岡の事業は順調に進み、大正末期の30代頃から経営の多角化を進め、第二次世界大戦を乗り越えたのでした。平和な時代が訪れると、美術品の売り立ても活発になっていきました。今ほど気軽に渡航できなかった時代、もっぱら書物で触れる古代文明の遺物などを眼前で鑑賞できるようにとの心づもりから、美術館開設後の松岡は古代エジプトやギリシア・ローマの古代遺物、さらには西洋の陶磁器に魅かれていきます。ここでは《バステト女神》、《アフロディテ像》や白金台では初めての展示となるマジョリカ陶器といった品々と、コレクターとして松岡が最も力を入れた中国陶磁器をご紹介します。
3.人との関わり
実業家として経営を続けていく上で「人」との関わりは欠かせない要素であり、公私ともに大きな影響をもたらしたことでしょう。館蔵品には人物を主題とした作品が殊のほか多く、本質的に人と関わることが好きだったのだと思われます。美大系予備校を開校して以降は講師陣との交流を通して、毎年のように海外オークションと掛け持ちで日展や院展といった団体展を訪れるようになり、生命感あふれる作品や人生の機微をとらえた情感豊かな人物画などを選んでいます。ここでは晩年になってから熱心に蒐集した1970年代~80年代の額装作品をご覧いただきます。
4.西洋画本格蒐集の始まりとなる1980年のオークション取得作品より
現在の当館は、東洋陶磁よりもフランス印象派やエコール・ド・パリの画家たちの作品で親しまれているかもしれませんが、松岡が本格的に西洋画を蒐集し始めるのは亡くなる9年前の1980(昭和55)年でした。その時以来、海外へ中国陶磁を求めに行きながらフランス近代絵画も入手するようになり、最終的に130点ほどのコレクションとなります。今回は、ペルジーニ《束の間の喜び》、ブーグロー《編み物をする少女》、シャガール《婚約者》など1980年に日本で開催されたオークションでの取得作品から13点を出品します。
| 作家・出演者 | モイーズ・キスリング, チャールズ・E・ペルジーニ, 堀川公子, ウィリアム・アドルフ・ブーグロー, マリー・ローランサン |
| 会場 | 松岡美術館 (Matsuoka Museum of Art, 마츠오카 미술관, 松冈美术馆) |
| 住所 | 108-0071 東京都港区白金台5-12-6 |
| アクセス | 白金台駅(東京メトロ南北線, 都営地下鉄三田線)1番出口 徒歩7分 目黒駅(JR, 東急電鉄)東口 徒歩15分 |
| 会期 | 2025/10/28(火) - 2026/02/08(日) |
| 時間 | 10:00-17:00 ※入館は閉館の30分前まで |
| 休み | 月曜日、11月4日(火)、11月25日(火)、2025年12月29日(月)~2026年1月5日(月)、1月13日(火) ※ただし、11月3日(月)、11月24日(月)、1月12日(月) |
| 観覧料 | 一般 1,400円 25歳以下 700円 高校生以下 無料 ※障がい者手帳をお持ちの方と介助者1名まで半額 |
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