新緑や紅葉の名所として知られる東福寺は、京都を代表する禅寺の一つです。朝廷の最高実力者・九条道家の発願により、中国で禅を学んだ円爾(聖一国師)を開山に迎えて創建されました。「東福寺」の名は、奈良の東大寺と興福寺になぞらえて、その一字ずつをとったことに由来します。中世の面影を色濃く留める巨大な建造物の数々は圧倒的なスケールを誇り、その特徴を表した「東福寺の伽藍面」の通称で知られています。
東福寺の寺宝をまとめて紹介する初の機会となる本展では、伝説の絵仏師・明兆による記念碑的大作「五百羅漢図」現存全幅を修理後初公開するとともに、巨大伽藍にふさわしい特大サイズの仏像や書画類も一堂に展観いたします。草創以来の東福寺の歴史を辿りつつ、大陸との交流を通して花開いた禅宗文化の全容を幅広く紹介し、東福寺の日本文化における意義とその魅力を余すところなくご覧いただきます。
展覧会のみどころ
第1章 東福寺の創建と円爾
嘉禎元年(1235)、円爾(1202~80)は海を渡り、南宋禅宗界の重鎮である無準師範(ぶじゅんしばん、1177~1249)に師事します。帰国後は博多に承天寺(じょうてんじ)を建立。その後九条道家(くじょうみちいえ)の知遇を得て京都に巨刹、東福寺を開きました。以来、寺は災厄に耐えて古文書や書跡、典籍、肖像画など無準や円爾ゆかりの数多の宝物を守り継いできました。それらは13世紀の東アジアの禅宗と日中交流の実情を窺わせる、質量ともに類をみない文物群で、今日、東福寺を中世禅宗文化最大の殿堂たらしめています。
第2章 聖一派の形成と展開
円爾の法を伝える後継者たちを聖一派(しょういちは)と呼びます。円爾は禅のみならず天台密教(てんだいみっきょう)にも精通し、初期の聖一派の僧たちも密教をよく学んでいました。また彼らはしばしば中国に渡り、大陸の禅風や膨大な知識、文物を持ち帰りました。東福寺周辺には彼らの書や、面影を伝える肖像画や彫刻、袈裟などの所用品が多数現存し、いずれも禅宗美術の優品ぞろいです。聖一派は国際性豊かで好学の気風が強く、名僧を多く輩出し、禅宗界で重きをなしました。
第3章 伝説の絵仏師・明兆
吉山明兆(きっさんみんちょう、1352~1431)は、東福寺を拠点に活躍した絵仏師です。 江戸時代までは雪舟とも並び称されるほどに高名な画人でした。寺内で仏殿の荘厳(しょうごん)などを行う殿司(でんす)職を務めたことから、「兆殿司(ちょうでんす)」とも通称されます。中国将来の仏画作品に学びながらも、冴えわたる水墨の技と鮮やかな極彩色とにより平明な画風を築き上げ、巨大な伽藍にふさわしい巨幅や連幅を数多く手掛けました。 本章では、東福寺および塔頭に伝蔵される明兆の代表作をご覧いただきます。
第4章 禅宗文化と海外交流
中国で禅を学んだ円爾は、帰朝に際して数多くの仏教文物を将来しました。円爾と中国仏教界との交友は帰国後も継続し、さらにそうした対外交流のネットワークは、円爾の弟子に連なる聖一派の禅僧たちにも受け継がれていきます。彼らは外交や貿易にも積極的に携わり、その後の禅宗文化の基軸となるさまざまな文物が東福寺に集積されていきました。海外交流の一大拠点として発展した東福寺は、日本の文化史上においても重要な役割を果たしたのです。
第5章 巨大伽藍と仏教彫刻
東大寺と興福寺の名に由来する東福寺の壮大な規模は、京都東山にそびえる巨大伽藍と尊像等の仏教彫刻に象徴されます。創建当初は宋風の七堂伽藍に、仏殿本尊の釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)をはじめとした巨大群像が安置され、「新大仏寺」とも称されました。その後、度重なる災禍に遭いながらも復興を遂げてきた東福寺には、歴代の再建あるいは塔頭伝来にかかる禅宗建築や彫刻、また関連する書画が現存し、「伽藍面」と称されてきた壮観を今に留めます。
東福寺の寺宝をまとめて紹介する初の機会となる本展では、伝説の絵仏師・明兆による記念碑的大作「五百羅漢図」現存全幅を修理後初公開するとともに、巨大伽藍にふさわしい特大サイズの仏像や書画類も一堂に展観いたします。草創以来の東福寺の歴史を辿りつつ、大陸との交流を通して花開いた禅宗文化の全容を幅広く紹介し、東福寺の日本文化における意義とその魅力を余すところなくご覧いただきます。
展覧会のみどころ
第1章 東福寺の創建と円爾
嘉禎元年(1235)、円爾(1202~80)は海を渡り、南宋禅宗界の重鎮である無準師範(ぶじゅんしばん、1177~1249)に師事します。帰国後は博多に承天寺(じょうてんじ)を建立。その後九条道家(くじょうみちいえ)の知遇を得て京都に巨刹、東福寺を開きました。以来、寺は災厄に耐えて古文書や書跡、典籍、肖像画など無準や円爾ゆかりの数多の宝物を守り継いできました。それらは13世紀の東アジアの禅宗と日中交流の実情を窺わせる、質量ともに類をみない文物群で、今日、東福寺を中世禅宗文化最大の殿堂たらしめています。
第2章 聖一派の形成と展開
円爾の法を伝える後継者たちを聖一派(しょういちは)と呼びます。円爾は禅のみならず天台密教(てんだいみっきょう)にも精通し、初期の聖一派の僧たちも密教をよく学んでいました。また彼らはしばしば中国に渡り、大陸の禅風や膨大な知識、文物を持ち帰りました。東福寺周辺には彼らの書や、面影を伝える肖像画や彫刻、袈裟などの所用品が多数現存し、いずれも禅宗美術の優品ぞろいです。聖一派は国際性豊かで好学の気風が強く、名僧を多く輩出し、禅宗界で重きをなしました。
第3章 伝説の絵仏師・明兆
吉山明兆(きっさんみんちょう、1352~1431)は、東福寺を拠点に活躍した絵仏師です。 江戸時代までは雪舟とも並び称されるほどに高名な画人でした。寺内で仏殿の荘厳(しょうごん)などを行う殿司(でんす)職を務めたことから、「兆殿司(ちょうでんす)」とも通称されます。中国将来の仏画作品に学びながらも、冴えわたる水墨の技と鮮やかな極彩色とにより平明な画風を築き上げ、巨大な伽藍にふさわしい巨幅や連幅を数多く手掛けました。 本章では、東福寺および塔頭に伝蔵される明兆の代表作をご覧いただきます。
第4章 禅宗文化と海外交流
中国で禅を学んだ円爾は、帰朝に際して数多くの仏教文物を将来しました。円爾と中国仏教界との交友は帰国後も継続し、さらにそうした対外交流のネットワークは、円爾の弟子に連なる聖一派の禅僧たちにも受け継がれていきます。彼らは外交や貿易にも積極的に携わり、その後の禅宗文化の基軸となるさまざまな文物が東福寺に集積されていきました。海外交流の一大拠点として発展した東福寺は、日本の文化史上においても重要な役割を果たしたのです。
第5章 巨大伽藍と仏教彫刻
東大寺と興福寺の名に由来する東福寺の壮大な規模は、京都東山にそびえる巨大伽藍と尊像等の仏教彫刻に象徴されます。創建当初は宋風の七堂伽藍に、仏殿本尊の釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)をはじめとした巨大群像が安置され、「新大仏寺」とも称されました。その後、度重なる災禍に遭いながらも復興を遂げてきた東福寺には、歴代の再建あるいは塔頭伝来にかかる禅宗建築や彫刻、また関連する書画が現存し、「伽藍面」と称されてきた壮観を今に留めます。
会場 | 東京国立博物館 (Tokyo National Museum, 도쿄국립박물관, 东京国立博物馆, 東京國立博物館) 平成館 特別展示室 |
住所 | 110-8712 東京都台東区上野公園13-9 |
アクセス | 上野駅(JR)公園口 徒歩10分 鶯谷駅(JR)南口 徒歩10分 上野駅(東京メトロ銀座線, 日比谷線) 徒歩15分 根津駅(東京メトロ千代田線) 徒歩15分 京成上野駅(京成電鉄) 徒歩15分 |
会期 | 2023/03/07(火) - 05/07(日) |
時間 | 9:30-17:00 ※入館は閉館の30分前まで |
休み | 月曜日 ※ただし、3月27日と5月1日は開館 |
観覧料 | 一般 2,100円 大学生 1,300円 高校生 900円 ※中学生以下、障がい者とその介護者一名は無料です。入館の際に障がい者手帳などをご提示ください。 ※本券で、会期中観覧日当日1回に限り、総合文化展もご覧になれます。 |
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