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開発の再開発 vol.2 近藤恵介|さわれない手、100年前の声 Redevelopment of Development vol. 2 Keisuke Kondo: an untouchable hand, a voice from 100 years ago

gallery αM

2023/07/29(土) - 10/14(土)

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《ひとときの絵画》2023年 左:具墨、薄美濃紙|12.4×16cm 中央:朱、黄土、朱土、代赭、藍、洋紅、膠、墨、矢車、蘇芳、雅邦紙、糊|26.8×12.3cm *小林古径《臨顧愷之女史箴卷(第4場面)》の模写(部分) 右:代赭、膠、コンクリート|8×10.6cm *小林古径《右手(素描)》の模写(部分)
《ひとときの絵画》2023年 左:具墨、薄美濃紙|12.4×16cm 中央:朱、黄土、朱土、代赭、藍、洋紅、膠、墨、矢車、蘇芳、雅邦紙、糊|26.8×12.3cm *小林古径《臨顧愷之女史箴卷(第4場面)》の模写(部分) 右:代赭、膠、コンクリート|8×10.6cm *小林古径《右手(素描)》の模写(部分)
ゲストキュレーター:石川卓磨(美術家・美術批評)

トークイベント:7月29日(土)18:00〜
近藤恵介×石川卓磨


さわれない手、100年前の声
近藤恵介

日本画家・小林古径は無口の人として知られる。古径のポートレイトを撮影した写真家の土門拳は撮影時のやり取りを懐古して「まるで壁の向う側にいる人と話しているみたいだった*1」と書き残している。「壁の向う側にいる」ように感じるのは、古径の絵を見ていても同じだ。絵はひたすら無口で、無表情だ。見てだめなら、耳を澄ましてみると、かろうじて唸るような低い声は聞こえる気がするが、意味は結ばない。ふと、壁の向こうには誰もいないのかもしれないと考える。壁越しの交流は、これ以上壊れない関係を築くことでもある。土門が「女のようにふっくらとした手が印象的だった*2」と書いたその手に触れることはできないけれど、ノックをしてみる。トントン。

ちょうど100年前、大正12年(1923)4月から5月にかけて、古径は同朋の画家・前田青邨と大英博物館に通い伝顧愷之筆《女史箴図巻》を模写した。青邨は「原画が鮮明なものであればともかく、真黒で非常に難しい。これ以上難しいものはないくらい難しく、徹底的に不鮮明である*3」とふり返ったが、2人は薄暗く煤煙の落ちる部屋で、徹底的に不鮮明な画巻を凝視し、切れ切れの線を綯うように引いた。青邨の速度をともなう張りのある線に比べ、古径の線はどこか頼りなく、不鮮明さをも写している。
模写に向き合うある日のことを「描き疲れて博物館を出ると、小林君が突然、突拍子もない大声で「ああ、勉強になったな」とただ一こと叫びました*4」と青邨は回想した。無口の古径の叫びは不鮮明な原画に向けられたものだが、その声は100年後にも届く。
(2023年5月)

*1 土門拳「無口の人」『三彩』87号、1957年5月、27頁
*2 同上
*3 前田青邨「「女史箴図巻」の模写」『作画三昧—青邨文集—』新潮社、1979年、188頁
*4 前田青邨「兄・小林古径」『作画三昧—青邨文集—』新潮社、1979年、120頁


模写のクオリア
石川卓磨

近藤恵介は東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻を卒業しているが、現代美術を取り扱うギャラリーでの発表を中心とし、絵画作品を解体し組み直すようにして作られるインスタレーションの作品で知られている。また、書籍の装画や挿絵の制作や、現代美術のアーティスト・冨井大裕や小説家・古川日出男とのコラボレーションなども行っていることから、日本画から遠く離れた場所で活動している画家と見られてもおかしくない。
しかし、近藤は日本画の歴史やアイデンティティを放棄しているわけではない。むしろ現代日本画画壇で失われつつある「日本画の近代性」を、考古学的対象(閉じられた一つの歴史)として研究し、制作のインスピレーションの源泉にしている日本画を深く専門領域とする画家である。
彼の研究と制作の中心には、近代の日本画家たちが探究した「線」がある。日本画の線の技術的修練の過程は、写実主義から始まる西洋近代絵画のリアリズムとは異なり、古典作品の模写に重きが置かれていた。模写は単なるコピーやトレースではない。近藤は、小林古径、前田青邨、安田靫彦などの新古典主義とも呼ばれた近代日本画家に通底している模写の経験を以下のように述べている。
「近代の日本画家の素描を見ると、模写の意識が染みついているのがよくわかる。他者の線を引用するというよりも身体性も一緒に引き写すことを繰り返しながら、やはり私は私なのでそれぞれの線になってゆき、次第に何らかの形を結ぶ。」*1
自己を滅し他者を憑依させ、線を写し取ろうとする過程で発見される自己の身体。模写はオリジナルのコピーに過ぎない貧しいものと思われかねないが、肉眼で観察し身体の動きに置き換える濃縮された鑑賞=制作のプロセスなのだ。
ゆえに近藤は、実物に接し模写することと、印刷やモニター上のイメージから模写することの違いに思考を向ける。小林古径と前田青邨による伝顧愷之筆《女史箴図巻》の模写を東北大学附属図書館に見にいった時に、高解像度の画像データであっても、絵画を肉眼で見る経験とは異なることに気がついたと近藤は私に話してくれた。モニターや印刷で失われるものは、線の「細さ」という感覚の強度だという。印刷された絵画は無論、モニター上で肉眼以上に細かく見られる線でも、それは拡大された線であって、引かれた線そのものが持つ感覚とは異なる。間近で線を肉眼で見た時に現れる線の「細さ」の強度は、それでしか経験することができないものなのだ——この模写の認識と対極的な例としてアンディ・ウォーホルが写真をトレースしたドローイングを挙げることができる。ウォーホルは、線を機械的にトレースすることで線の死を生産する。それは絵画の死であり、作者の死であり、現代における死をモチーフにする手段になりえた。
近藤にとって模写とは、絵画の中にある死ぬことのない線を発見し、画家の身体・認識を通して、現在性を持った画面の上に線を新たに産み直すことだ。近藤は模写という行為に含まれる身体性や現象学的経験を捉え直し、自らの新たな制作へと昇華することで、閉じられた日本画の技術的・精神的な歴史を開いていく。これが近藤における開発の再開発なのだ。

*1 近藤恵介「卓上の絵画、線の振幅」『佐賀大学芸術地域デザイン学部研究論文集』第4巻、2021年、152頁


▊近藤恵介 こんどう・けいすけ▊
1981年福岡県生まれ。2007年東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。画家。近年は、「日本画」の方法から絵画の別のあり方を考え、展覧会や紙媒体を中心に作品発表を行なっている。近年の主な個展に「絵画の手と手」LOKO GALLERY(東京、2022)、連続展「卓上の絵画」(MA2 Galleryなど、2017–2020)。主な二人展に「あっけなく明快な絵画と彫刻、続いているわからない絵画と彫刻」川崎市市民ミュージアム(オンライン、2023)/LOKO GALLERY(東京、2023)、「、譚 近藤恵介・古川日出男」LOKO GALLERY(東京、2019)。主なグループ展に「所在-游芸」kenakian(佐賀、2021)、「VOCA展2019 現代美術の展望─新しい平面の作家たち」上野の森美術館(東京、2019)など。作品集に『12ヶ月のための絵画』(HeHe、2014年)、論文に「卓上の絵画、線の振幅」(佐賀大学芸術地域デザイン学部研究論文集 第4号、2021年)など。2020年より文学ムック『ことばと』(書肆侃侃房)の装画・挿絵を担当。

出典

作家・出演者近藤恵介
会場gallery αMぎゃらりー あるふぁえむ (ギャラリー アルファエム)
住所
162-0843
東京都新宿区市谷田町1-4 武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパス 2F
アクセス
市ヶ谷駅(JR中央線, 総武線) 徒歩3分
市ヶ谷駅(東京メトロ有楽町線, 南北線, 都営新宿線)4番出口 徒歩3分
会期2023/07/29(土) - 10/14(土)
時間12:30-19:00
休み日曜日、月曜日、8/11、8/13-8/28、9/23
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