特集展示 富士山 花と雲と湖と Special Exhibition Mount Fuji in Bloom, in Cloud, in Lakes
半蔵門ミュージアム
2026/01/17(土) - 05/10(日)
日本を象徴する山、富士山。それは日本人だけではなく、世界の人々をも魅了してやみません。春夏秋冬、朝昼夕、さまざまな姿を私たちに見せてくれます。山といえば富士山、多くの人がそう答えるでしょう。日本一の標高を誇りますが、それにとどまらない美麗な魅力があります。冠雪に覆われた白富士、太陽の光に染まった赤(朱)富士、湖に映る逆さ富士、山頂と太陽が重なるダイヤモンド富士。仰ぎ見る名所として、三保の松原、田子の浦、芦ノ湖畔、富士五湖畔、忍野八海などが挙げられます。
さらに、富士山から遠く離れた地域にも、富士見という地名が数多く存在します。また、津軽富士(岩木山)、近江富士(三上山)、薩摩富士(開聞岳)など、全国に「富士」の別称がついた山も枚挙にいとまがないほどです。それほど富士山は象徴的な山であり、二つとない「不二」の当て字が相応しいといえましょう。
古来、富士山は絵に描かれ続けてきました。例えば、『伊勢物語』に登場する在原業平(825~880)とおぼしき主人公は、都から東国へ下る際に富士山を眺めて歌を詠みましたが、その場面を多くの絵師が表現しています。『聖徳太子絵伝』や『一遍聖絵』にも富士山が表されました。江戸時代の葛飾北斎は、『冨嶽三十六景』に代表されるように、富士山を多く描いた絵師として著名です。
今期の特集展示では、花や雲や湖を合わせて描いた富士山の絵画を集めました。文化勲章受章者である横山大観・田崎廣助・片岡球子、版画家の笹島喜平、日本画家の川﨑春彦・岡信孝・木村圭吾・平松礼二、洋画家の野田好子・櫻井孝美という10名の15作品です。同じ富士山が主題でも、描く画家により構図や色彩は異なり、それぞれの個性が輝いています。花に囲まれ、雲がたなびき、畔に湖のある、美麗で独創的な富士山の絵画をご堪能ください。
各画家の略歴と作品
今期の特集展示では、横山大観から現役の画家まで、花や雲や湖を合わせて描いた富士山の絵画を集めました。
展示順に、各画家の略歴と作品を簡単に紹介します。
横山大観(1868~1958)は1937(昭和12)年に初めて制定された文化勲章の第1回受章者で、1951年には文化功労者に選ばれました。2000点を越える富士山を描きましたが、《霊峰不二》はその一つで、近景に三保の松原を配しています。
田崎廣助(1898~1984)は、1975年に文化勲章受章、文化功労者に選ばれた洋画家です。故郷九州の阿蘇山や桜島、《箱根の朱富士》のような朱富士を好んで描き、「山岳画家」と称せられました。
片岡球子(1905~2008)は1986年に文化功労者、1989(平成元)年に文化勲章を受章しました。500点以上を描いた「富士山」シリーズが著名ですが、《花に囲まれし富士》は既存のカタログなどに掲載されていない作品です。
川﨑春彦(1929~2018)は父川﨑小虎、兄川﨑鈴彦、義兄東山魁夷と、日本画一家に育まれ、父と義兄に師事しました。《春曙》は藍色の富士山と多彩な雲の階調表現が美しい作品です。
岡信孝(1932~)も芸術一家の出身で、川端龍子が祖父、濱田庄司が義父、棟方志功が縁戚にあたります。《紅梅富士》について、祖父の影響を受けている旨、画家本人のコメントをいただきました。
木村圭吾(1944~)は富士山の麓にアトリエを構える画家で、《春望》は富士山と桜を得意とする木村ならではの作品です。
平松礼二(1941~)の作品は海外でも高く評価され、フランスとドイツで巡回展を行い、2021(令和3)年にはフランス政府芸術文化勲章シュヴァリエを受章しました。《路・花嶽》と《路・爽秋路》は自然の美しさを表した「路」シリーズの作品です。
櫻井孝美(1944~)は富士吉田市にアトリエを構える洋画家です。《錦秋》は櫻井孝美油絵展「煌きの刻」に出品された作品で、紅葉に囲まれた冠雪の富士山と、河口湖に映る逆さ富士を描いています。
笹島喜平(1906~93)は平塚運一や棟方志功に師事した版画家で、不動明王などの仏像を得意としました。《飛雲富士B》《清秋富士》《精進湖の富士》など、富士山を主題とした作品も多く残しています。
片岡球子《めでたき富士》2点はパリ・エトワール三越美術館での出品作としてつくられました。
野田好子(1925~2016)は富士山麓で生まれ育った洋画家で、日頃から目にしていた富士山はライフワークの主題でした。《飛翔》は2008年の静岡県立美術館「野田好子回顧展」で展示されました。
花に囲まれ、雲がたなびき、畔に湖のある、美麗で独創的な富士山の絵画をご堪能ください。
横山大観(よこやまたいかん、1868~1958) 《霊峰不二》 1939年
茨城県の水戸に生まれる。本名は秀麿。東京美術学校の第1期生で、橋本雅邦(1835~1908)や岡倉天心(1863~1913)に学ぶ。1898(明治31)年に日本美術院の創立に参加し、1914(大正3)年にその再興をはたす。1937(昭和12)年制定の文化勲章第1回受章者となり、昭和26年に文化功労者、没時に勲一等旭日大綬章を贈与された。後半生を過ごした上野池之端の旧宅は現在、横山大観記念館として公開されている。
生涯を通じて富士山を主題とした絵を2000点以上描いたことでも知られている。《霊峰不二》は手前に三保の松原、奥に冠雪の富士山を配する。
画家は次のように述べている。「私は富士山が好きです。あの山容がとても好きです。春、夏、秋、冬によってその山容が異(ちが)います。春夏秋冬ばかりではありません。朝、昼、夜でまたおのずから異ってきます。いや時々刻々異うといった方がいいかもしれません」(『大観自伝』、1951年)。
田崎廣助(たさきひろすけ、1898~1984) 《箱根の朱富士》 1975年頃
福岡県の八女に生まれる。本名は廣次。福岡県師範学校(現・福岡教育大学)卒業。上京後に洋画家の安井曾太郎(1888~1955)に師事し、同郷の坂本繁二郎(1882~1969)の知遇を得る。1939(昭和14)年、一水会創立に参加。日展の審査員、評議員、理事、顧問を担う。1961年、日本芸術院賞受賞。1968年、勲三等瑞宝章を受章。1975年には、文化勲章を受章し、文化功労者となる。没後の1986年、アトリエを構えていた軽井沢に田崎美術館、2016年には八女市田崎廣助美術館が開館している。
故郷九州の阿蘇山や桜島をはじめ、数多くの山々を描き、「山岳画家」と称された。「山を描く場合は、まず正面から裏まで一周りぐるっと回って、次に東西南北の各方角から眺め、さらにその山を登ったり下りたりしてみる。そういうことを繰り返しているうちに、おのずからいい場所が定まってくる」とは画家自身の言葉である(『東洋の心』、1979年)。富士山を主題とした絵は冠雪の「白富士」や朝焼けの「朱富士」を好んだ。《箱根の朱富士》は夏頃の朝焼け富士と芦ノ湖を描いている。
片岡球子(かたおかたまこ、1905~2008) 《花に囲まれし富士》
北海道札幌市生まれ。女子美術専門学校(現・女子美術大学)卒業後、横浜市の小学校教諭をつとめる傍らで絵画を創作し、1946(昭和21)年に安田靫彦(1884~1978)に入門。のち女子美術大学、愛知県立芸術大学の教授をつとめる。1976年、勲三等瑞宝章受章。1981年、日本美術院理事就任。1982年、日本芸術院会員就任。1986年には文化功労者に選ばれ、1989(平成元)年に文化勲章を受章。女性の日本画家としては、上村松園(1875~1949)、小倉遊亀(1895~2000)に続く三人目の受賞者となった。
1966年第51回院展の《面構 足利義政》出品以降、「面構」シリーズの制作を始め、1975年の第59回院展出品作《面構 鳥文斎栄之》は第31回日本芸術院恩賜賞を受賞している。
片岡の描く「富士山」シリーズは構図が大胆で、鮮やかな色彩表現が独創的である。《花に囲まれし富士》は既存のカタログなどに掲載されていない作品。
その他出展作品:
《めでたき富士 西湖の富士》 1992年
《めでたき富士 大観山の富士》 1992年
川﨑春彦(かわさきはるひこ、1929~2018)《春曙》 2003年頃
東京都杉並区生まれ。曽祖父川﨑千虎(1836~1902)、父川﨑小虎(1886~1977)、兄川﨑鈴彦(1925~)、義兄東山魁夷(1908~99)、娘の川﨑麻児はいずれも日本画家。父と義兄に師事。東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業した1950(昭和25)年に日展初入選。2018(平成30)年に旭日中綬章受章。
《春曙》は1979年の同題作品があり、川﨑自身は「このような色の雲と富士を女性の着物にしたらいいんじゃないかといったイメージを持った」と語る。2006年の第38回日展《春の曙富士》も近似した作品で、本人が好んでいた構図であることが推し量れる。本作を含め、春の夜明けを多彩な階調で表した雲と、藍色の富士山を描いた美しい作品。画家は随筆「富士山」で次のように述べている。「朝もやの中にうっすらと富士の輪郭が現われる。銀灰色の空に薄い紫色がひそかに沸き出てくる。白緑色も出てくる。静かに静かに色数がふえてくる。澄んだ青色が空全体をおおったかと思うといつの間にか淡い桃色、一直線に横にのびる黄金色が現われる。赤い色も顔を出す」(『芸術新潮』367号、1980年)。
岡信孝(おかのぶたか、1932~) 《紅梅富士》 1990年代
神奈川県川崎市に生まれる。祖父は川端龍子(1885~1966)、義父は濱田庄司(1894~1978)。また、平福百穂(1877~1933)や棟方志功(1903~75)が縁戚にあたる。1950(昭和25)年、川端龍子の主宰する青龍社研究会に入会。龍子没後は奥村土牛(1889~1990)に師事した。
また、古美術コレクションで知られるが、それは「まずは感動すること。心で観て『いいな』と思うもの」という濱田庄司の言葉に従った収集だという。現在は、多くのコレクションが長野県の須坂クラシック美術館に寄贈され、同館に「岡信孝記念展示室」が設けられている。
《紅梅富士》について画家本人にたずねたところ、次のコメントをいただいた。「富士の作品は何点かありますが、祖父龍子の教育で、富士は、人格が出来てから描くものであり、余り描いてはならないとの言葉があり、いつ本当の富士が描けるかは解りませんが、心して制作して居ります。(中略)今になっても未熟でありますので、龍子祖父の言葉が身にしみます」。
木村圭吾(きむらけいご、1944~) 《春望》 1997年
京都市生まれ。山口華楊(1899~1984)らに師事。東京セントラル絵画館や滋賀県立近代美術館などで個展を開き、1991(平成3)年に静岡県へ転居、富士山を仰ぐ場所にアトリエを構える。2003年、静岡県長泉町に木村圭吾さくら美術館を開館(2008年閉館)。2011年以降、「光の回廊」「煌めく大地」「天地彩映」と続けて巡回展が開催されている。
木村自身、「私の心には、燦然と輝く大地の眩しさがたしかに見えます。そして自然界の美の核心を大胆に謳い上げたいと祈念します。未来永劫へとつづくいのちの讃歌を謳いながら、悠久にして至高の結晶体を描くべく、今後も絶唱してまいります」と述べている(『天地彩映』、2014年)。
《春望》は桜と富士山を得意とする木村ならではの作品。今回、画家本人から作品に込めた思いを寄せていただいた。「日出づる国日本。たおやかな香りが富嶽の情景を優しく醸し出す。桜花爛漫の舞台はあまりにも美しい…。見事な様相の舞台を表出している」。
平松礼二(ひらまつれいじ、1941~) 《路・花嶽》 1990年頃
東京都中野区生まれ、愛知県名古屋市育ち。本名は郁夫。川端龍子(1885~1966)や横山操(1920~73)を慕う。1989(平成元)年、紺綬褒章受章。1994年、多摩美術大学教授。2000~10年には『文藝春秋』の表紙画を担う。2006~07年、了徳寺大学学長。2013年にフランス・ジヴェルニー印象派美術館、2014年にドイツ・ベルリン国立アジア美術館と、海外で巡回展を開催。2017年、母校の愛知大学から初の名誉博士号を授与。2021(令和3)年、フランス政府芸術文化勲章シュヴァリエ受章。
2006年、町立湯河原美術館に平松礼二館が開館、本人が寄贈・寄託した作品などが公開されている。
《路・花嶽》と《路・爽秋路》は平松がテーマとした「路」シリーズの作品。今回の展示に際し、画家本人から次のコメントを寄せていただいた。「1985年頃から夢中になってアジアの国々を訪ね歩いていた。長い旅路を経て日本の自然に気づいた。何という美しさだろうか。四季、いや八季にも及ぶ、うつろいの美は私の目や心に突き刺さったままだ」。
その他出展作品:
《路・爽秋路》 1987年頃
櫻井孝美(さくらいたかよし、1944~) 《錦秋》 1992年
埼玉県生まれ。日本大学芸術学部美術学科卒業後、山梨県職員として勤務し、富士吉田市にアトリエを構える。1976(昭和51)年に結成された美術家団体「土日会」に参加し、現在は会長をつとめる。1988年、新人の洋画家にとって登竜門とされる安井賞を受賞。家族との日常や、富士山を多く描き続けている洋画家である。2025(令和7)年には銀座三越と河口湖美術館において、「讃歌・緑と水と太陽 櫻井孝美展」が開催された。
《錦秋》は1993(平成5)年4月、新宿伊勢丹での櫻井孝美油絵展「煌きの刻」に出品された作品。御坂峠から見える、紅葉に囲まれた冠雪の富士山と、河口湖に映る逆さ富士を描く。この作品は「紅葉した富士山と取り囲む山々の色彩美を追求した」ものであり、富士山については「富士吉田市に住み57年、毎日富士を仰ぎ、畏敬の念を持って富士と共に生活している」とのコメントを画家本人から寄せていただいた。
笹島喜平(ささじまきへい、1906~93)《精進湖の富士》 1980年
栃木県益子町生まれ。東京府立青山師範学校(現・東京学芸大学)在学中、帰省した益子町で陶芸家の濱田庄司(1894~1978)と出会う。卒業後は同校の教員となる。1936(昭和11)年、平塚運一(1895~1997)から木版画を学び、興味を抱いていたところ、翌年に濱田庄司から棟方志功(1903~75)を紹介される。1938年の第7回日本版画協会展出品作が初入選となる。晩年は郷里の益子町に移住している。1995(平成7)年、陶芸メッセ益子に笹島喜平館が開館し、その作品が常設展示されている。
戦後、長年の教員生活に終止符を打ち、版画の道で生活することを決意する。通常の版画と異なり、版木に直接インクを付けず、版木に紙を押し当てて図柄を浮き立たせ、紙の上からインクを塗る「拓刷り」という独自の版画技法を確立した。
富士山を主題とした作品は1972年以降、本格的に取り組んでいる。その威容について、「なんとすばらしい好景を展開してくれることか。私は思わず嘆息をもらし、胸をおどらせる」と語る(『生誕100年記念 笹島喜平展』、2005年)。
その他出展作品:
《清秋富士》 1973年
《飛雲富士B》1967年
野田好子(のだよしこ、1925~2016) 《飛翔》 1993年
静岡県富士郡田子浦村(現・富士市)生まれ。吉原高等女学校卒業後、1943(昭和18)年に富士宮市へ疎開してきた洋画家の曽宮一念(1893~1994)に師事した。曽宮から紹介された安井曾太郎(1888~1955)は、野田の絵を見て「此の人はものになりますね」と語ったという。後年は片岡球子(1905~2008)らの指導を仰いでいる(『富士山・羽衣伝説』寄稿文、2005年)。
幼少期より目にしていた富士山を主題とした作品が数多い。天女が舞い降りた羽衣伝説など、幻想的な世界を独特に表現したものもある。没後、故郷富士市の富士山かぐや姫ミュージアムに多くの作品が寄贈され、同館ではコレクション展が実施されている。画家自身、「富士山は自分の分身のような、いや、富士山が自分をつつみ生かしてくれているようにつくづくと思う」と述べる(『美・JAPAN 富士山』、2005年)。《飛翔》は2008(平成20)年に静岡県立美術館「野田好子回顧展」で展示された作品でもある。
常設展示
ガンダーラの仏伝浮彫、鎌倉時代初期の仏師運慶作と推定される大日如来坐像(重要文化財)、醍醐寺ゆかりの如意輪観音菩薩坐像、不動明王坐像、二童子立像を常設展示しています。
展示室:地下1階
さらに、富士山から遠く離れた地域にも、富士見という地名が数多く存在します。また、津軽富士(岩木山)、近江富士(三上山)、薩摩富士(開聞岳)など、全国に「富士」の別称がついた山も枚挙にいとまがないほどです。それほど富士山は象徴的な山であり、二つとない「不二」の当て字が相応しいといえましょう。
古来、富士山は絵に描かれ続けてきました。例えば、『伊勢物語』に登場する在原業平(825~880)とおぼしき主人公は、都から東国へ下る際に富士山を眺めて歌を詠みましたが、その場面を多くの絵師が表現しています。『聖徳太子絵伝』や『一遍聖絵』にも富士山が表されました。江戸時代の葛飾北斎は、『冨嶽三十六景』に代表されるように、富士山を多く描いた絵師として著名です。
今期の特集展示では、花や雲や湖を合わせて描いた富士山の絵画を集めました。文化勲章受章者である横山大観・田崎廣助・片岡球子、版画家の笹島喜平、日本画家の川﨑春彦・岡信孝・木村圭吾・平松礼二、洋画家の野田好子・櫻井孝美という10名の15作品です。同じ富士山が主題でも、描く画家により構図や色彩は異なり、それぞれの個性が輝いています。花に囲まれ、雲がたなびき、畔に湖のある、美麗で独創的な富士山の絵画をご堪能ください。
各画家の略歴と作品
今期の特集展示では、横山大観から現役の画家まで、花や雲や湖を合わせて描いた富士山の絵画を集めました。
展示順に、各画家の略歴と作品を簡単に紹介します。
横山大観(1868~1958)は1937(昭和12)年に初めて制定された文化勲章の第1回受章者で、1951年には文化功労者に選ばれました。2000点を越える富士山を描きましたが、《霊峰不二》はその一つで、近景に三保の松原を配しています。
田崎廣助(1898~1984)は、1975年に文化勲章受章、文化功労者に選ばれた洋画家です。故郷九州の阿蘇山や桜島、《箱根の朱富士》のような朱富士を好んで描き、「山岳画家」と称せられました。
片岡球子(1905~2008)は1986年に文化功労者、1989(平成元)年に文化勲章を受章しました。500点以上を描いた「富士山」シリーズが著名ですが、《花に囲まれし富士》は既存のカタログなどに掲載されていない作品です。
川﨑春彦(1929~2018)は父川﨑小虎、兄川﨑鈴彦、義兄東山魁夷と、日本画一家に育まれ、父と義兄に師事しました。《春曙》は藍色の富士山と多彩な雲の階調表現が美しい作品です。
岡信孝(1932~)も芸術一家の出身で、川端龍子が祖父、濱田庄司が義父、棟方志功が縁戚にあたります。《紅梅富士》について、祖父の影響を受けている旨、画家本人のコメントをいただきました。
木村圭吾(1944~)は富士山の麓にアトリエを構える画家で、《春望》は富士山と桜を得意とする木村ならではの作品です。
平松礼二(1941~)の作品は海外でも高く評価され、フランスとドイツで巡回展を行い、2021(令和3)年にはフランス政府芸術文化勲章シュヴァリエを受章しました。《路・花嶽》と《路・爽秋路》は自然の美しさを表した「路」シリーズの作品です。
櫻井孝美(1944~)は富士吉田市にアトリエを構える洋画家です。《錦秋》は櫻井孝美油絵展「煌きの刻」に出品された作品で、紅葉に囲まれた冠雪の富士山と、河口湖に映る逆さ富士を描いています。
笹島喜平(1906~93)は平塚運一や棟方志功に師事した版画家で、不動明王などの仏像を得意としました。《飛雲富士B》《清秋富士》《精進湖の富士》など、富士山を主題とした作品も多く残しています。
片岡球子《めでたき富士》2点はパリ・エトワール三越美術館での出品作としてつくられました。
野田好子(1925~2016)は富士山麓で生まれ育った洋画家で、日頃から目にしていた富士山はライフワークの主題でした。《飛翔》は2008年の静岡県立美術館「野田好子回顧展」で展示されました。
花に囲まれ、雲がたなびき、畔に湖のある、美麗で独創的な富士山の絵画をご堪能ください。
横山大観(よこやまたいかん、1868~1958) 《霊峰不二》 1939年
茨城県の水戸に生まれる。本名は秀麿。東京美術学校の第1期生で、橋本雅邦(1835~1908)や岡倉天心(1863~1913)に学ぶ。1898(明治31)年に日本美術院の創立に参加し、1914(大正3)年にその再興をはたす。1937(昭和12)年制定の文化勲章第1回受章者となり、昭和26年に文化功労者、没時に勲一等旭日大綬章を贈与された。後半生を過ごした上野池之端の旧宅は現在、横山大観記念館として公開されている。
生涯を通じて富士山を主題とした絵を2000点以上描いたことでも知られている。《霊峰不二》は手前に三保の松原、奥に冠雪の富士山を配する。
画家は次のように述べている。「私は富士山が好きです。あの山容がとても好きです。春、夏、秋、冬によってその山容が異(ちが)います。春夏秋冬ばかりではありません。朝、昼、夜でまたおのずから異ってきます。いや時々刻々異うといった方がいいかもしれません」(『大観自伝』、1951年)。
田崎廣助(たさきひろすけ、1898~1984) 《箱根の朱富士》 1975年頃
福岡県の八女に生まれる。本名は廣次。福岡県師範学校(現・福岡教育大学)卒業。上京後に洋画家の安井曾太郎(1888~1955)に師事し、同郷の坂本繁二郎(1882~1969)の知遇を得る。1939(昭和14)年、一水会創立に参加。日展の審査員、評議員、理事、顧問を担う。1961年、日本芸術院賞受賞。1968年、勲三等瑞宝章を受章。1975年には、文化勲章を受章し、文化功労者となる。没後の1986年、アトリエを構えていた軽井沢に田崎美術館、2016年には八女市田崎廣助美術館が開館している。
故郷九州の阿蘇山や桜島をはじめ、数多くの山々を描き、「山岳画家」と称された。「山を描く場合は、まず正面から裏まで一周りぐるっと回って、次に東西南北の各方角から眺め、さらにその山を登ったり下りたりしてみる。そういうことを繰り返しているうちに、おのずからいい場所が定まってくる」とは画家自身の言葉である(『東洋の心』、1979年)。富士山を主題とした絵は冠雪の「白富士」や朝焼けの「朱富士」を好んだ。《箱根の朱富士》は夏頃の朝焼け富士と芦ノ湖を描いている。
片岡球子(かたおかたまこ、1905~2008) 《花に囲まれし富士》
北海道札幌市生まれ。女子美術専門学校(現・女子美術大学)卒業後、横浜市の小学校教諭をつとめる傍らで絵画を創作し、1946(昭和21)年に安田靫彦(1884~1978)に入門。のち女子美術大学、愛知県立芸術大学の教授をつとめる。1976年、勲三等瑞宝章受章。1981年、日本美術院理事就任。1982年、日本芸術院会員就任。1986年には文化功労者に選ばれ、1989(平成元)年に文化勲章を受章。女性の日本画家としては、上村松園(1875~1949)、小倉遊亀(1895~2000)に続く三人目の受賞者となった。
1966年第51回院展の《面構 足利義政》出品以降、「面構」シリーズの制作を始め、1975年の第59回院展出品作《面構 鳥文斎栄之》は第31回日本芸術院恩賜賞を受賞している。
片岡の描く「富士山」シリーズは構図が大胆で、鮮やかな色彩表現が独創的である。《花に囲まれし富士》は既存のカタログなどに掲載されていない作品。
その他出展作品:
《めでたき富士 西湖の富士》 1992年
《めでたき富士 大観山の富士》 1992年
川﨑春彦(かわさきはるひこ、1929~2018)《春曙》 2003年頃
東京都杉並区生まれ。曽祖父川﨑千虎(1836~1902)、父川﨑小虎(1886~1977)、兄川﨑鈴彦(1925~)、義兄東山魁夷(1908~99)、娘の川﨑麻児はいずれも日本画家。父と義兄に師事。東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業した1950(昭和25)年に日展初入選。2018(平成30)年に旭日中綬章受章。
《春曙》は1979年の同題作品があり、川﨑自身は「このような色の雲と富士を女性の着物にしたらいいんじゃないかといったイメージを持った」と語る。2006年の第38回日展《春の曙富士》も近似した作品で、本人が好んでいた構図であることが推し量れる。本作を含め、春の夜明けを多彩な階調で表した雲と、藍色の富士山を描いた美しい作品。画家は随筆「富士山」で次のように述べている。「朝もやの中にうっすらと富士の輪郭が現われる。銀灰色の空に薄い紫色がひそかに沸き出てくる。白緑色も出てくる。静かに静かに色数がふえてくる。澄んだ青色が空全体をおおったかと思うといつの間にか淡い桃色、一直線に横にのびる黄金色が現われる。赤い色も顔を出す」(『芸術新潮』367号、1980年)。
岡信孝(おかのぶたか、1932~) 《紅梅富士》 1990年代
神奈川県川崎市に生まれる。祖父は川端龍子(1885~1966)、義父は濱田庄司(1894~1978)。また、平福百穂(1877~1933)や棟方志功(1903~75)が縁戚にあたる。1950(昭和25)年、川端龍子の主宰する青龍社研究会に入会。龍子没後は奥村土牛(1889~1990)に師事した。
また、古美術コレクションで知られるが、それは「まずは感動すること。心で観て『いいな』と思うもの」という濱田庄司の言葉に従った収集だという。現在は、多くのコレクションが長野県の須坂クラシック美術館に寄贈され、同館に「岡信孝記念展示室」が設けられている。
《紅梅富士》について画家本人にたずねたところ、次のコメントをいただいた。「富士の作品は何点かありますが、祖父龍子の教育で、富士は、人格が出来てから描くものであり、余り描いてはならないとの言葉があり、いつ本当の富士が描けるかは解りませんが、心して制作して居ります。(中略)今になっても未熟でありますので、龍子祖父の言葉が身にしみます」。
木村圭吾(きむらけいご、1944~) 《春望》 1997年
京都市生まれ。山口華楊(1899~1984)らに師事。東京セントラル絵画館や滋賀県立近代美術館などで個展を開き、1991(平成3)年に静岡県へ転居、富士山を仰ぐ場所にアトリエを構える。2003年、静岡県長泉町に木村圭吾さくら美術館を開館(2008年閉館)。2011年以降、「光の回廊」「煌めく大地」「天地彩映」と続けて巡回展が開催されている。
木村自身、「私の心には、燦然と輝く大地の眩しさがたしかに見えます。そして自然界の美の核心を大胆に謳い上げたいと祈念します。未来永劫へとつづくいのちの讃歌を謳いながら、悠久にして至高の結晶体を描くべく、今後も絶唱してまいります」と述べている(『天地彩映』、2014年)。
《春望》は桜と富士山を得意とする木村ならではの作品。今回、画家本人から作品に込めた思いを寄せていただいた。「日出づる国日本。たおやかな香りが富嶽の情景を優しく醸し出す。桜花爛漫の舞台はあまりにも美しい…。見事な様相の舞台を表出している」。
平松礼二(ひらまつれいじ、1941~) 《路・花嶽》 1990年頃
東京都中野区生まれ、愛知県名古屋市育ち。本名は郁夫。川端龍子(1885~1966)や横山操(1920~73)を慕う。1989(平成元)年、紺綬褒章受章。1994年、多摩美術大学教授。2000~10年には『文藝春秋』の表紙画を担う。2006~07年、了徳寺大学学長。2013年にフランス・ジヴェルニー印象派美術館、2014年にドイツ・ベルリン国立アジア美術館と、海外で巡回展を開催。2017年、母校の愛知大学から初の名誉博士号を授与。2021(令和3)年、フランス政府芸術文化勲章シュヴァリエ受章。
2006年、町立湯河原美術館に平松礼二館が開館、本人が寄贈・寄託した作品などが公開されている。
《路・花嶽》と《路・爽秋路》は平松がテーマとした「路」シリーズの作品。今回の展示に際し、画家本人から次のコメントを寄せていただいた。「1985年頃から夢中になってアジアの国々を訪ね歩いていた。長い旅路を経て日本の自然に気づいた。何という美しさだろうか。四季、いや八季にも及ぶ、うつろいの美は私の目や心に突き刺さったままだ」。
その他出展作品:
《路・爽秋路》 1987年頃
櫻井孝美(さくらいたかよし、1944~) 《錦秋》 1992年
埼玉県生まれ。日本大学芸術学部美術学科卒業後、山梨県職員として勤務し、富士吉田市にアトリエを構える。1976(昭和51)年に結成された美術家団体「土日会」に参加し、現在は会長をつとめる。1988年、新人の洋画家にとって登竜門とされる安井賞を受賞。家族との日常や、富士山を多く描き続けている洋画家である。2025(令和7)年には銀座三越と河口湖美術館において、「讃歌・緑と水と太陽 櫻井孝美展」が開催された。
《錦秋》は1993(平成5)年4月、新宿伊勢丹での櫻井孝美油絵展「煌きの刻」に出品された作品。御坂峠から見える、紅葉に囲まれた冠雪の富士山と、河口湖に映る逆さ富士を描く。この作品は「紅葉した富士山と取り囲む山々の色彩美を追求した」ものであり、富士山については「富士吉田市に住み57年、毎日富士を仰ぎ、畏敬の念を持って富士と共に生活している」とのコメントを画家本人から寄せていただいた。
笹島喜平(ささじまきへい、1906~93)《精進湖の富士》 1980年
栃木県益子町生まれ。東京府立青山師範学校(現・東京学芸大学)在学中、帰省した益子町で陶芸家の濱田庄司(1894~1978)と出会う。卒業後は同校の教員となる。1936(昭和11)年、平塚運一(1895~1997)から木版画を学び、興味を抱いていたところ、翌年に濱田庄司から棟方志功(1903~75)を紹介される。1938年の第7回日本版画協会展出品作が初入選となる。晩年は郷里の益子町に移住している。1995(平成7)年、陶芸メッセ益子に笹島喜平館が開館し、その作品が常設展示されている。
戦後、長年の教員生活に終止符を打ち、版画の道で生活することを決意する。通常の版画と異なり、版木に直接インクを付けず、版木に紙を押し当てて図柄を浮き立たせ、紙の上からインクを塗る「拓刷り」という独自の版画技法を確立した。
富士山を主題とした作品は1972年以降、本格的に取り組んでいる。その威容について、「なんとすばらしい好景を展開してくれることか。私は思わず嘆息をもらし、胸をおどらせる」と語る(『生誕100年記念 笹島喜平展』、2005年)。
その他出展作品:
《清秋富士》 1973年
《飛雲富士B》1967年
野田好子(のだよしこ、1925~2016) 《飛翔》 1993年
静岡県富士郡田子浦村(現・富士市)生まれ。吉原高等女学校卒業後、1943(昭和18)年に富士宮市へ疎開してきた洋画家の曽宮一念(1893~1994)に師事した。曽宮から紹介された安井曾太郎(1888~1955)は、野田の絵を見て「此の人はものになりますね」と語ったという。後年は片岡球子(1905~2008)らの指導を仰いでいる(『富士山・羽衣伝説』寄稿文、2005年)。
幼少期より目にしていた富士山を主題とした作品が数多い。天女が舞い降りた羽衣伝説など、幻想的な世界を独特に表現したものもある。没後、故郷富士市の富士山かぐや姫ミュージアムに多くの作品が寄贈され、同館ではコレクション展が実施されている。画家自身、「富士山は自分の分身のような、いや、富士山が自分をつつみ生かしてくれているようにつくづくと思う」と述べる(『美・JAPAN 富士山』、2005年)。《飛翔》は2008(平成20)年に静岡県立美術館「野田好子回顧展」で展示された作品でもある。
常設展示
ガンダーラの仏伝浮彫、鎌倉時代初期の仏師運慶作と推定される大日如来坐像(重要文化財)、醍醐寺ゆかりの如意輪観音菩薩坐像、不動明王坐像、二童子立像を常設展示しています。
展示室:地下1階
| 作家・出演者 | 横山大観, 田崎廣助, 片岡球子, 川﨑春彦, 岡信孝, 木村圭吾, 平松礼二, 櫻井孝美, 笹島喜平, 野田好子 |
| 会場 | 半蔵門ミュージアム |
| 住所 | 102-0082 東京都千代田区一番町25 |
| アクセス | 半蔵門駅(東京メトロ半蔵門線)4番出口 左すぐ 麹町駅(東京メトロ有楽町線)3番出口 徒歩5分 市ヶ谷駅(都営新宿線, 東京メトロ有楽町線, JR中央本線, 総武本線)A3口 徒歩13分 四ツ谷駅(JR中央本線)麹町口 徒歩15分 |
| 会期 | 2026/01/17(土) - 05/10(日) |
| 時間 | 10:00-17:30 ※入館は17:00まで |
| 休み | 月曜日、火曜日 |
| 観覧料 | 無料 |
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