前期2025年5月25日(日)〜2025年6月15日(日)
後期2025年6月17日(火)〜2025年7月13日(日)
※一部作品の展示替えを行います。
橋口五葉といえば、女性の美しさを柔らかく表現した版画で世界的に知られています。けれども、五葉の手がけた仕事はそれにとどまりません。書籍の装幀やポスター、洋画や日本画とジャンルを超えて多彩に活躍しました。
五葉の仕事の出発点には夏目漱石の『吾輩ハ猫デアル』の装幀があります。漱石は古美術から同時代の英国美術にいたらるまで、美術に深い知識と関心を持ち、自らの小説にも数多くの美術作品を登場させています。五葉は美術学校在学中から漱石と交流を持ち、漱石に認められてその著作の装幀を手掛けるようになります。本展では日本の書斎空間を美しく彩った五葉装幀の世界を、50点近くの書籍によりご紹介します。
装幀に見られる職人との協業や素材へのこだわり、画面を花々や小動物のモチーフで埋め尽くす華やかな装飾性は、その後の絵画や版画の仕事にも息づいていきます。同時代のヨーロッパの美術潮流であるアール・ヌーヴォーと、琳派や浮世絵などの日本の伝統。それらが、五葉の美意識のもとに融合し、唯一無二の作品世界を生み出しているのです。
本展では、装幀を出発点として五葉の全仕事をご覧いただくことで、装飾や美術という枠組みを超えた橋口五葉の豊饒なデザインの世界をご堪能いただきます。
展覧会構成
第1章 『吾輩ハ猫デアル』
夏目漱石は小説家としての出発点である『吾輩ハ猫デアル』を世に出すにあたり、美しい本を出したいとの願いを持っていました。五葉はこれまでになかった装幀でこの願いにこたえ、今でも日本の近代装幀史に大きな足跡を残す名作が誕生しました。
第2章 五葉と漱石
五葉と漱石の交流は俳句雑誌『ホトトギス』から始まります。『ホトトギス』に新風を吹き込んだ五葉の挿絵の数々、さらに漱石との関わりから生まれた装幀の数々をご紹介します。青磁を思わせる色合いの表紙に鉄線の模様が浮かぶ『鶉籠』、表紙に漆塗りを施した『草合』から、スエードが装幀に用いられている『行人』まで、五葉が手掛けた漱石本が一堂に会します。
第3章 五葉装幀の世界
五葉はブックデザインという言葉もまだない時代に先駆的な仕事を残しています。今見ても新しい、華やかなデザインで包まれた泉鏡花の著作の数々。表紙や見返しだけでなく、本文にまで装飾が施された『浮草』。本を立体としてとらえた五葉の装幀は、手のひらに収まる小さな世界に美しさが凝縮されたものとなっています。
第4章 五葉の画業
鹿児島で日本画を、さらに東京美術学校で西洋画を学んだ五葉は、それらを吸収して新たな表現を追究していきます。油彩で描かれた衝立形式の《孔雀と印度女》や、装飾的な花鳥イメージあふれる《黄薔薇》などの絵画作品はそうした探求の成果が結実したものです。
石販を三十五度刷り重ねた非常に贅沢なポスター《此美人》、絵葉書や雑誌といったグラフィックの数々からは、五葉の華やかなデザインの世界が浮かび上がってきます。
第5章 新板画へ
五葉は自ら浮世絵の研究を重ね、さらに九州・耶馬渓への旅を契機に自ら版画を手掛けることとなります。生前制作された作品は13点と僅かながら、今でも美しい輝きを放っています。スティーヴ・ジョブズも愛したと言われる珠玉の作品の数々をご紹介します。
橋口五葉(はしぐち・ごよう、1881-1921)
1881(明治14)年、鹿児島市に生まれる。1899(明治 32)年に上京、当初日本画家の橋本雅邦に人門するが、同郷の黒田清輝の勧めで洋画に転じ、白馬会洋画研究所を経て翌年東京美術学校に入学。長兄・貢を介し夏目漱石と知り合い、『吾輩ハ猫デアル』の装禎を手がける。その後も日本近代文学を代表する作家の装禎を次々と手がけた。1907(明治40) 年東京勧業博覧会に油彩画による屏風絵《孔雀と印度女》を出品し二等賞、第一回文展に《羽衣》が入選。1911(明治44)年には三越呉服店の懸賞に応募し《此美人》が一等に選ばれる。その後、自身の浮世絵研究に基づき新板画の制作に取り組み、《髪梳ける女》などの傑作を生み出した。1921(大正10)年41歳で病没。
後期2025年6月17日(火)〜2025年7月13日(日)
※一部作品の展示替えを行います。
橋口五葉といえば、女性の美しさを柔らかく表現した版画で世界的に知られています。けれども、五葉の手がけた仕事はそれにとどまりません。書籍の装幀やポスター、洋画や日本画とジャンルを超えて多彩に活躍しました。
五葉の仕事の出発点には夏目漱石の『吾輩ハ猫デアル』の装幀があります。漱石は古美術から同時代の英国美術にいたらるまで、美術に深い知識と関心を持ち、自らの小説にも数多くの美術作品を登場させています。五葉は美術学校在学中から漱石と交流を持ち、漱石に認められてその著作の装幀を手掛けるようになります。本展では日本の書斎空間を美しく彩った五葉装幀の世界を、50点近くの書籍によりご紹介します。
装幀に見られる職人との協業や素材へのこだわり、画面を花々や小動物のモチーフで埋め尽くす華やかな装飾性は、その後の絵画や版画の仕事にも息づいていきます。同時代のヨーロッパの美術潮流であるアール・ヌーヴォーと、琳派や浮世絵などの日本の伝統。それらが、五葉の美意識のもとに融合し、唯一無二の作品世界を生み出しているのです。
本展では、装幀を出発点として五葉の全仕事をご覧いただくことで、装飾や美術という枠組みを超えた橋口五葉の豊饒なデザインの世界をご堪能いただきます。
展覧会構成
第1章 『吾輩ハ猫デアル』
夏目漱石は小説家としての出発点である『吾輩ハ猫デアル』を世に出すにあたり、美しい本を出したいとの願いを持っていました。五葉はこれまでになかった装幀でこの願いにこたえ、今でも日本の近代装幀史に大きな足跡を残す名作が誕生しました。
第2章 五葉と漱石
五葉と漱石の交流は俳句雑誌『ホトトギス』から始まります。『ホトトギス』に新風を吹き込んだ五葉の挿絵の数々、さらに漱石との関わりから生まれた装幀の数々をご紹介します。青磁を思わせる色合いの表紙に鉄線の模様が浮かぶ『鶉籠』、表紙に漆塗りを施した『草合』から、スエードが装幀に用いられている『行人』まで、五葉が手掛けた漱石本が一堂に会します。
第3章 五葉装幀の世界
五葉はブックデザインという言葉もまだない時代に先駆的な仕事を残しています。今見ても新しい、華やかなデザインで包まれた泉鏡花の著作の数々。表紙や見返しだけでなく、本文にまで装飾が施された『浮草』。本を立体としてとらえた五葉の装幀は、手のひらに収まる小さな世界に美しさが凝縮されたものとなっています。
第4章 五葉の画業
鹿児島で日本画を、さらに東京美術学校で西洋画を学んだ五葉は、それらを吸収して新たな表現を追究していきます。油彩で描かれた衝立形式の《孔雀と印度女》や、装飾的な花鳥イメージあふれる《黄薔薇》などの絵画作品はそうした探求の成果が結実したものです。
石販を三十五度刷り重ねた非常に贅沢なポスター《此美人》、絵葉書や雑誌といったグラフィックの数々からは、五葉の華やかなデザインの世界が浮かび上がってきます。
第5章 新板画へ
五葉は自ら浮世絵の研究を重ね、さらに九州・耶馬渓への旅を契機に自ら版画を手掛けることとなります。生前制作された作品は13点と僅かながら、今でも美しい輝きを放っています。スティーヴ・ジョブズも愛したと言われる珠玉の作品の数々をご紹介します。
橋口五葉(はしぐち・ごよう、1881-1921)
1881(明治14)年、鹿児島市に生まれる。1899(明治 32)年に上京、当初日本画家の橋本雅邦に人門するが、同郷の黒田清輝の勧めで洋画に転じ、白馬会洋画研究所を経て翌年東京美術学校に入学。長兄・貢を介し夏目漱石と知り合い、『吾輩ハ猫デアル』の装禎を手がける。その後も日本近代文学を代表する作家の装禎を次々と手がけた。1907(明治40) 年東京勧業博覧会に油彩画による屏風絵《孔雀と印度女》を出品し二等賞、第一回文展に《羽衣》が入選。1911(明治44)年には三越呉服店の懸賞に応募し《此美人》が一等に選ばれる。その後、自身の浮世絵研究に基づき新板画の制作に取り組み、《髪梳ける女》などの傑作を生み出した。1921(大正10)年41歳で病没。
| 作家・出演者 | 橋口五葉 |
| 会場 | 府中市美術館 (Fuchu Art Museum) |
| 住所 | 183-0001 東京都府中市浅間町1-3 都立府中の森公園内 |
| アクセス | 東府中駅(京王線)北口 徒歩17分 |
| 会期 | 2025/05/25(日) - 07/13(日) |
| 時間 | 10:00-17:00 ※展示室への入場は16:30まで |
| 休み | 月曜日 |
| 観覧料 | 一般 800円 高校生・大学生 400円 小・中学生 200円 未就学児 無料 障碍者手帳(ミライロID可)等をお持ちの方と付き添いの方1名 無料 ※府中市内の小・中学生は「府中っ子学びのパスポート」提示で無料。 ※本展観覧料でコレクション展もご覧いただけます。 |
| SNS | |
| ウェブサイト |


