s+arts(スプラスアーツ)より、石川直也、角谷郁恵、徳永博子、森綾乃、Masutani Mayによるグループ展「awareness」の開催をご案内申し上げます。
石川直也は、「彫刻とは何か」という問いに対し、大理石という素材と向き合いながら日々その答えを探究しています。林の中に作った アトリエでの環境や自身の経験をもとに、石川が初めて自然と思える彫刻を作ったという代表作シリーズ“自立しない人”は、立つこと の出来ない人体彫刻です。本シリーズは、自立とは様々な関係性の中にあり、自立しないことは豊かなことでもあることを教えてくれた と石川は話します。本展では、3Dプリンタで出力した部屋(room)を用意し、そこに石をはめ込む様に形作っていくことで、 “自立しな い人”を立たせるという新たな試みを含めて発表いたします。
角谷郁恵は、絵描きだった祖父の庭で過ごした幼少期の記憶を制作の原点に、主に紙や陶を用いて「石」を制作しています。紙の上に 幾重にも色を流しこみ、偶然性を引き出しながら、混ざり、滲み、揺らぎ、石の肌理や表情が生まれます。紙の中に作家の意図とそれを 超えた現象が共存し始め、そこに現れるのは自然そのものではなく現象を抽出した秩序でありデザイン(庭)であると角谷は話します。 また、石は長い時間をかけて土に戻っていくなかで、陶芸は土を石に還元していく行為ではないかと考えます。石の造形が永い年月と いくつも自然の事象を受け入れて現れたように、陶の石を作る時も作家の意図を超えた素直な形になるように手を施し、最後は窯の中 で炎の力に委ね、現象が引き起こるのを待ち、陶の石が生まれるのです。
徳永博子は、アクリル板を丁寧に削り重ね合わせることで、浮遊感を持った作品を発表しています。細やかな点と線の集まりは、氷の 結晶のようにも感じられ、ストロークの「集積」と、その重なりから「知覚」されるものを制作のコンセプトとしています。この世界に存 在する物質は全て粒子で構成されていると言われています。一つでは目に見えないほど細かな粒子が引き寄せあい、塊になって、肉眼 で見えるようになるようです。徳永は、ひとつひとつの細かな粒子が「個人の知覚」のように思い、たくさんの視点や情報が集積し、一 つの物質や風景を作っているのではないだろうかと考えます。それを目に見える形に表現できないかと、制作を続けています。本展で は、新たな素材を用いた新作にも挑戦しています。
森綾乃は、布をレイヤー状に何層にも重ねては絵描くことを繰り返して作品を形成します。行為を行うことで現れる痕跡と時間の蓄積 を画面に留めながら、広がる空間の奥深くまで潜り込み、偶然と必然の狭間に揺れる不確かなものをそっとすくいとるようにして、理 屈やことばでは言い表せないありのままの表現を描き留めます。「のびやかにだらしなく」と自身の作品を例える森は、空間の何気な い気配と向き合う時間を大切にすることで、作品自身が主張するのではなく、鑑賞者が何かを感じられるような、良い意味で向き合わ ない絵画を目指しています。一見白い布でシンプルに見える彼女の作品には、何ものにも媚びない自由な空間が広がるような奥深さと 何気ない気配を感じられるきっかけが散りばめられているようです。
Masutani Mayは、人間性や潜在意識の狭間にあるものに焦点を当て、ガラスの作品を制作しています。編み物やチェーンを想起させ るような連続性のある彼女の作品は、全てのパーツが繋がっているものの、その構造上、形を変えることのできる作品も多く、作家が 想い描く概念的な形の一部を切り取ったかのような印象を受けます。「人間も、自然も、世界にあるものを全て、絶えず変化し続ける。 変化し続けても、結局は全て繋がっている。言葉では表現できない感情をガラスの透明感で繋げていく。ガラスは無機質な元素で構 成されているが、狭間に想いを繋げば有機質な存在になると私は想う。」ガラスならではの光と影、隂と陽、その釣り合いを大切に造 形されたMasutani Mayの作品は、美しく繊細でありながらも、凛とした佇まいで、観るものを魅了するでしょう。
制作される作品は抽象的な印象を持ちながらも、自身の扱う素材や対象物と技術を合わせながら、考えを具現化している5人の作家 に焦点をあて、今回のタイトルを「気づき」や「意識」という意味合いのある「awareness」にいたしました。一見シンプルでありながら も、深く見ていくと様々な想いが含まれています。これを機に是非ご高覧ください。
石川直也は、「彫刻とは何か」という問いに対し、大理石という素材と向き合いながら日々その答えを探究しています。林の中に作った アトリエでの環境や自身の経験をもとに、石川が初めて自然と思える彫刻を作ったという代表作シリーズ“自立しない人”は、立つこと の出来ない人体彫刻です。本シリーズは、自立とは様々な関係性の中にあり、自立しないことは豊かなことでもあることを教えてくれた と石川は話します。本展では、3Dプリンタで出力した部屋(room)を用意し、そこに石をはめ込む様に形作っていくことで、 “自立しな い人”を立たせるという新たな試みを含めて発表いたします。
角谷郁恵は、絵描きだった祖父の庭で過ごした幼少期の記憶を制作の原点に、主に紙や陶を用いて「石」を制作しています。紙の上に 幾重にも色を流しこみ、偶然性を引き出しながら、混ざり、滲み、揺らぎ、石の肌理や表情が生まれます。紙の中に作家の意図とそれを 超えた現象が共存し始め、そこに現れるのは自然そのものではなく現象を抽出した秩序でありデザイン(庭)であると角谷は話します。 また、石は長い時間をかけて土に戻っていくなかで、陶芸は土を石に還元していく行為ではないかと考えます。石の造形が永い年月と いくつも自然の事象を受け入れて現れたように、陶の石を作る時も作家の意図を超えた素直な形になるように手を施し、最後は窯の中 で炎の力に委ね、現象が引き起こるのを待ち、陶の石が生まれるのです。
徳永博子は、アクリル板を丁寧に削り重ね合わせることで、浮遊感を持った作品を発表しています。細やかな点と線の集まりは、氷の 結晶のようにも感じられ、ストロークの「集積」と、その重なりから「知覚」されるものを制作のコンセプトとしています。この世界に存 在する物質は全て粒子で構成されていると言われています。一つでは目に見えないほど細かな粒子が引き寄せあい、塊になって、肉眼 で見えるようになるようです。徳永は、ひとつひとつの細かな粒子が「個人の知覚」のように思い、たくさんの視点や情報が集積し、一 つの物質や風景を作っているのではないだろうかと考えます。それを目に見える形に表現できないかと、制作を続けています。本展で は、新たな素材を用いた新作にも挑戦しています。
森綾乃は、布をレイヤー状に何層にも重ねては絵描くことを繰り返して作品を形成します。行為を行うことで現れる痕跡と時間の蓄積 を画面に留めながら、広がる空間の奥深くまで潜り込み、偶然と必然の狭間に揺れる不確かなものをそっとすくいとるようにして、理 屈やことばでは言い表せないありのままの表現を描き留めます。「のびやかにだらしなく」と自身の作品を例える森は、空間の何気な い気配と向き合う時間を大切にすることで、作品自身が主張するのではなく、鑑賞者が何かを感じられるような、良い意味で向き合わ ない絵画を目指しています。一見白い布でシンプルに見える彼女の作品には、何ものにも媚びない自由な空間が広がるような奥深さと 何気ない気配を感じられるきっかけが散りばめられているようです。
Masutani Mayは、人間性や潜在意識の狭間にあるものに焦点を当て、ガラスの作品を制作しています。編み物やチェーンを想起させ るような連続性のある彼女の作品は、全てのパーツが繋がっているものの、その構造上、形を変えることのできる作品も多く、作家が 想い描く概念的な形の一部を切り取ったかのような印象を受けます。「人間も、自然も、世界にあるものを全て、絶えず変化し続ける。 変化し続けても、結局は全て繋がっている。言葉では表現できない感情をガラスの透明感で繋げていく。ガラスは無機質な元素で構 成されているが、狭間に想いを繋げば有機質な存在になると私は想う。」ガラスならではの光と影、隂と陽、その釣り合いを大切に造 形されたMasutani Mayの作品は、美しく繊細でありながらも、凛とした佇まいで、観るものを魅了するでしょう。
制作される作品は抽象的な印象を持ちながらも、自身の扱う素材や対象物と技術を合わせながら、考えを具現化している5人の作家 に焦点をあて、今回のタイトルを「気づき」や「意識」という意味合いのある「awareness」にいたしました。一見シンプルでありながら も、深く見ていくと様々な想いが含まれています。これを機に是非ご高覧ください。
作家・出演者 | 石川直也, 角谷郁恵, 徳永博子, 森綾乃, Masutani May |
会場 | s+arts (スプラスアーツ) |
住所 | 106-0032 東京都港区六本木7-6-5 六本木栄ビル 3F |
アクセス | 六本木駅(東京メトロ日比谷線)2番口 徒歩8分 六本木駅(都営大江戸線)7番口 徒歩9分 乃木坂駅(東京メトロ千代田線, 小田急小田原線)6番口 徒歩9分 |
会期 | 2024/11/15(金) - 30(土) |
時間 | 12:00-19:00(最終日17:00まで) |
休み | 日曜日、月曜日、火曜日 |
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