この度小山登美夫ギャラリー六本木では、菅木志雄展「あるというものはなく、ないというものもない」を開催いたします。菅は弊廊において2015年から毎年精力的に新作を発表しつづけており、今回実に9回目の開催となります。
また、個展カタログも毎回刊行しており、本展では滋賀県立美術館ディレクターの保坂健二朗氏にご執筆いただき論考を掲載予定です。
【菅木志雄と作品に関して
– 独自の視点と鋭敏な感覚でアートの新たな地平を切り開く – 】
菅木志雄(1944-)は、60年代末~70年代の芸術運動「もの派」の主要メンバーとして活動後、50年以上独自の世界への視点と鋭敏な感覚で作品制作を行い、同時代を生きる戦後日本美術を代表するアーティストとして新たなフィールドを切り開いてきました。
菅は、木、石、金属、ロープなどのありふれたものを時に融和、時に対峙させながら配置し作品として表します。それはものを単独で存在させるのではなく、「もの」と「場」、「もの」と「もの」が相互に依存し合う「連関性」 や「差異」、「複雑性」を 表わす事で、その「もの」ならではの存在性を最大限に引き出しており、見たことのない新しい景色、状況を鑑賞者に提示してきました。
それにはまず「石を『これはもしかして石ではないのかもしれない』とまで考える」というように、ものの意味や既成概念を徹底的に問い直すことが制作の重要な過程となります。作品の素材でしかなかった「もの」自体や、ものを知覚する「人間」、それらを取り囲む「自然」へ目を向け、あらゆるものは対等な関係であり、それが普遍的な世界のあり方だと菅は捉えているのです。その先駆的な考えはすでに活動初期の20代の頃から確立されており、作庭家 重森三玲や、京都学派、インド哲学の中観論に共鳴しながらいまもなお独自の思考を深化し続けていることが、菅の作品世界に自由な現代性を生みだしていると言えるでしょう。
菅作品は国際的にも高い評価を得ており、ポンピドゥ・センター、テート・モダン、M+、グッゲンハイム・アブダビ、スコットランド国立美術館や、東京国立近代美術館、東京都現代美術館をはじめ国内外多数の美術館に収蔵されています。いままでに国内外約400回以上の展覧会歴があり、今年2024年4月8日から7月21日には、中国の和美術館で大規模な個展「Corresponding Space https://www.hem.net.cn/en/exhibition/35 」も開催いたします。
(*主な展覧会歴はこちら http://tomiokoyamagallery.com/artists/kishio-suga/#artist-cv をご覧ください。)
【本展に関して
-アートとは「そこに在るもの」を認めることである -】
菅は、本展に際し次のアーティストステイトメントを記しました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「あるというものはなく、ないというものもない」
「そこに在るもの」は、まさにそこに在るものなのである。すべてのものは、何かの役に立つとか、なんらかの価値があるとかいうようなものではない。場は、そういうものが集まって、一定の存在空間を現在させている。ものには、それぞれに、名称がありなんらかの性質があり、それらが集合した状況空間が人のいる住空間として広がっている。同時にものの在る場、いいかえれば、もの(無名なるもの)がよりどころとする自然をつくっているところの根本にあるということはまちがいないだろう。すべてのものは、自然なるものとしてある。それゆえに、ひとつの世界観が成立しているといえる。あらゆるものが同一次元にあるとすることは、ある意味で、どこをとっても、必要であるし、反対に必要ない状況であるといえなくない。これはあらゆるものにとって、〈共なる因〉としてあるものである。この因による状態から抜けだすことによって、個々のものがそれぞれに、異なるものとしてあるのであり、それによって見えるものになる。」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
本出展作「素空」は、長さが少しずつ異なるオレンジの細い角材が、等間隔のようで等間隔でないピッチで枠内にぐるりと配置されています。
それはどこをとっても同じようでいて同じ表情はなく、またその内空間を大きい板が縦断して細い角棒で全体の枠とつながることで作品に異空間が抱き込まれ、なにか不思議な新たな状況を生み出しています。
また今回の作品の淡い色合いも特徴的でありますが、色は菅にとって「ものの意味を消すこと」であり、また「色はものと対等なもの」だといいます。ところどころ色で木がもつ意味合いを消して別の存在性を示すことで、現実にあることとつながりながら決して混じり合わない世界のあり方を、認識させているのです。
菅は、アーティストとは人に「ある視点」を与える先導者のようなものだと述べています。
「アートというのは、あるものを認める。それだけのことなんだと、ずっと言ってます。でもいっぽうで、自分の『ちょぼっ』とした行為が、とてつもないものを引きずり出す可能性はあると信じている。素材となる自然のほうは、膨大なバックグラウンドを背負っていますからね。その大きなものに働きかけていれば、何かを引き起こせるかもしれない。」
「『ものは、あるようにある』。存在をあるがままに認めること、つたなくとも自分で語ることが大事だと思う。それはその人がどう生きるか、ということだから。」*1
見えない繋がりを感知しないと世界は見えない。菅は、私たちに新たな気づきをあたえ、アートを通じて世界とどう豊かに向き合っていくかを指し示しています。菅の色褪せることのない自由な感覚による最新作を、同時代に生きる多くの方々にご覧いただきたく、この機会にぜひお越しください。
*1(山内宏泰「菅木志雄のアトリエを訪ねて。『日常のなかに、アートへ展開できる動作、行為、状態はいくらでもある」美術手帖ウェブ版、2022年2月)
また、個展カタログも毎回刊行しており、本展では滋賀県立美術館ディレクターの保坂健二朗氏にご執筆いただき論考を掲載予定です。
【菅木志雄と作品に関して
– 独自の視点と鋭敏な感覚でアートの新たな地平を切り開く – 】
菅木志雄(1944-)は、60年代末~70年代の芸術運動「もの派」の主要メンバーとして活動後、50年以上独自の世界への視点と鋭敏な感覚で作品制作を行い、同時代を生きる戦後日本美術を代表するアーティストとして新たなフィールドを切り開いてきました。
菅は、木、石、金属、ロープなどのありふれたものを時に融和、時に対峙させながら配置し作品として表します。それはものを単独で存在させるのではなく、「もの」と「場」、「もの」と「もの」が相互に依存し合う「連関性」 や「差異」、「複雑性」を 表わす事で、その「もの」ならではの存在性を最大限に引き出しており、見たことのない新しい景色、状況を鑑賞者に提示してきました。
それにはまず「石を『これはもしかして石ではないのかもしれない』とまで考える」というように、ものの意味や既成概念を徹底的に問い直すことが制作の重要な過程となります。作品の素材でしかなかった「もの」自体や、ものを知覚する「人間」、それらを取り囲む「自然」へ目を向け、あらゆるものは対等な関係であり、それが普遍的な世界のあり方だと菅は捉えているのです。その先駆的な考えはすでに活動初期の20代の頃から確立されており、作庭家 重森三玲や、京都学派、インド哲学の中観論に共鳴しながらいまもなお独自の思考を深化し続けていることが、菅の作品世界に自由な現代性を生みだしていると言えるでしょう。
菅作品は国際的にも高い評価を得ており、ポンピドゥ・センター、テート・モダン、M+、グッゲンハイム・アブダビ、スコットランド国立美術館や、東京国立近代美術館、東京都現代美術館をはじめ国内外多数の美術館に収蔵されています。いままでに国内外約400回以上の展覧会歴があり、今年2024年4月8日から7月21日には、中国の和美術館で大規模な個展「Corresponding Space https://www.hem.net.cn/en/exhibition/35 」も開催いたします。
(*主な展覧会歴はこちら http://tomiokoyamagallery.com/artists/kishio-suga/#artist-cv をご覧ください。)
【本展に関して
-アートとは「そこに在るもの」を認めることである -】
菅は、本展に際し次のアーティストステイトメントを記しました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「あるというものはなく、ないというものもない」
「そこに在るもの」は、まさにそこに在るものなのである。すべてのものは、何かの役に立つとか、なんらかの価値があるとかいうようなものではない。場は、そういうものが集まって、一定の存在空間を現在させている。ものには、それぞれに、名称がありなんらかの性質があり、それらが集合した状況空間が人のいる住空間として広がっている。同時にものの在る場、いいかえれば、もの(無名なるもの)がよりどころとする自然をつくっているところの根本にあるということはまちがいないだろう。すべてのものは、自然なるものとしてある。それゆえに、ひとつの世界観が成立しているといえる。あらゆるものが同一次元にあるとすることは、ある意味で、どこをとっても、必要であるし、反対に必要ない状況であるといえなくない。これはあらゆるものにとって、〈共なる因〉としてあるものである。この因による状態から抜けだすことによって、個々のものがそれぞれに、異なるものとしてあるのであり、それによって見えるものになる。」
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本出展作「素空」は、長さが少しずつ異なるオレンジの細い角材が、等間隔のようで等間隔でないピッチで枠内にぐるりと配置されています。
それはどこをとっても同じようでいて同じ表情はなく、またその内空間を大きい板が縦断して細い角棒で全体の枠とつながることで作品に異空間が抱き込まれ、なにか不思議な新たな状況を生み出しています。
また今回の作品の淡い色合いも特徴的でありますが、色は菅にとって「ものの意味を消すこと」であり、また「色はものと対等なもの」だといいます。ところどころ色で木がもつ意味合いを消して別の存在性を示すことで、現実にあることとつながりながら決して混じり合わない世界のあり方を、認識させているのです。
菅は、アーティストとは人に「ある視点」を与える先導者のようなものだと述べています。
「アートというのは、あるものを認める。それだけのことなんだと、ずっと言ってます。でもいっぽうで、自分の『ちょぼっ』とした行為が、とてつもないものを引きずり出す可能性はあると信じている。素材となる自然のほうは、膨大なバックグラウンドを背負っていますからね。その大きなものに働きかけていれば、何かを引き起こせるかもしれない。」
「『ものは、あるようにある』。存在をあるがままに認めること、つたなくとも自分で語ることが大事だと思う。それはその人がどう生きるか、ということだから。」*1
見えない繋がりを感知しないと世界は見えない。菅は、私たちに新たな気づきをあたえ、アートを通じて世界とどう豊かに向き合っていくかを指し示しています。菅の色褪せることのない自由な感覚による最新作を、同時代に生きる多くの方々にご覧いただきたく、この機会にぜひお越しください。
*1(山内宏泰「菅木志雄のアトリエを訪ねて。『日常のなかに、アートへ展開できる動作、行為、状態はいくらでもある」美術手帖ウェブ版、2022年2月)
作家・出演者 | 菅木志雄 |
会場 | 小山登美夫ギャラリー六本木 (Tomio Koyama Gallery Roppongi) |
住所 | 106-0032 東京都港区六本木6-5-24 complex665 2F |
アクセス | 六本木駅(東京メトロ日比谷線)1b口 徒歩3分 六本木駅(都営地下鉄大江戸線)3出口 徒歩7分 |
会期 | 2024/04/27(土) - 06/08(土) |
時間 | 11:00-19:00 |
休み | 日曜日、月曜日、5/3(金)、5/4(土) |
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