会期中4月23日(火)から約10点を展示替えします
町田市立国際版画美術館(東京都町田市原町田4-28-1)にて、「版画の青春 小野忠重と版画運動」を2024年3月16日(土)より開催いたします。本展では1930-40年代に活動した「新版画集団」と「造型版画協会」による版画運動を、リーダーであった小野忠重の旧蔵品を中心に紹介します。約300点の作品を通じて、激動の時代に版画に熱中した青年たちがいかにこの時代を超えようとしたか、明治の終わりに登場し30年にも満たなかった創作版画はいかなる「青春期」を迎えたのかを探る機会になるでしょう。
展覧会概要
昭和初期にあたる1930年代の東京は関東大震災から復興し、新しい景観と映画やカフェなどの娯楽文化が流行する近代都市へと変貌を遂げています。その一方で、この年代は経済や文化面などへの国家の統制が強化され、戦時体制へと歩みが進んだ時代でした。
こうした時代に、1932年(昭和7)、小野忠重(おのただしげ・1909-1990)や武藤六郎(むとうろくろう・1907-1995)ら20代はじめの青年たちが「新版画集団」を結成し、「版画の大衆化」を掲げて版画運動を開始します。この後グループは、活動の中で、現代版画には絵画的充実が必要だと実感し、1936年(昭和11)に一旦解散、小野や清水正博(しみずまさひろ・1914-2011)らメンバーの一部が1937年(昭和12)に「造型版画協会」を結成して版画運動を継続・発展させました。
本展覧会では、「新版画集団」と「造型版画協会」のリーダーであった小野忠重の旧蔵品を中心とした約300点の作品によって、これらのグループによる版画運動の諸相を探ります。また、激動の1930-40年代という時代に版画に熱中した青年たちが、如何にこの時代を超えようとしたかを考えます。本展は、明治の終わりに登場し、まだ30年にも満たなかった創作版画の、いわば「青春期」を振り返る機会にもなるでしょう。
みどころ
1.知られざる1930-40年代の創作版画をなんと約300点展示
2.出品作品を通して1930-40年代の日本にタイムスリップ
3.青年版画家たちは、戦争の足跡が聞こえてくる時代をいかに超えようとしたか!
展示構成
第一部: 新版画集団 ―「版画の大衆化」を掲げて
第Ⅰ章: 1932年 ―「新版画集団」結成
1932年4月、藤牧義夫(ふじまきよしお)、武藤六郎、小野忠重、柴秀夫(しばひでお)、吉田正三(よしだしょうぞう)ら20代前半の若者をはじめとした22名が「新版画集団」を結成した。彼らは活動の目標に「版画の大衆化」を掲げ、内容を大衆化すること、そして多くの人々が鑑賞できる方法で発表することを訴えた。この方向性は小野が一時期共鳴していたプロレタリア美術の目標である美術の大衆化や、労働者や農民が集まる工場街や農村で展覧会を開催する活動方針にならったものであった。
第Ⅱ章 1933-36年 ― 版画運動の進展と解散
新版画集団は機関誌『新版画』の発行と年1、2回の展覧会を開催、また研究会や作品批評会の実施、版画集発行を通じて「版画の大衆化」に向けて版画運動を進展させた。また定例展を徳島市、岐阜市そして旧満州の奉天などにも巡回させ、ユニークな問題意識を反映した展覧会も実施した。しかし、活動のなかで「版画の大衆化」に対する集団員の問題意識が変わり、版画の絵画性を充実させることで大衆(鑑賞者)の眼に応える方向性に仕切り直すため、1936年12月に解散した。
第二部:造型版画協会(戦前を中心に) ― 絵画的充実を目指して
第Ⅰ章 1937年 ―「造型版画協会」結成時のメンバーと戦前の作品
1937年3月、新版画集団のメンバーであった小野忠重、末木(荒井)東留(すえき(あらい)とおる)、清水正博、柴秀夫、水船六洲(みずふねろくしゅう)の5名が造型版画協会を結成した。5月には矢田卿二(桂一)(やだけいじ(けいいち))と曽我尾武治(そがおたけはる)が参加して第1回展を開催し、本格的に活動を始めた。協会の目標は、版画もまた「絵画」であるとし、マチエールなど造形性の充実や作品の大型化を重視しながら版画の独自性を追求することにより、結果的に版画への大衆の関心を拡充してゆくことであった。
第Ⅱ章 1938-43年 ― 戦時下での活動 新たな会員と公募出品者
1937年5月に会員のみの第1回展を開催した造型版画協会は、翌1938年4月には公募形式の第2回展を開催した。その後1943年4月に同様の形式で第7回展まで開催したのち、戦争の激化にともなって活動を停止した。この間、国家による厳しい統制によって戦時体制が強化されたことで、美術家の制作や発表も抑圧されたが、協会の会員たちは展覧会出品作品を通じて版画の絵画的充実を模索し、困難を乗り超えて毎年展覧会も開催した。このなかには戦後活躍する斎藤清(さいとうきよし)や北岡文雄(きたおかふみお)も若手として参加していた。
第Ⅲ章 戦後、あらたな時代へ 運動の継続と表現の模索
造型版画協会は1949年12月に戦後初めてとなる展覧会を開催して活動を再開させ、1954年の第12回展まで、東京でほぼ年1回のペースで展覧会を開催した。協会は地方でも展覧会を実施したが、1955年を最後に活動を止め、その後自然消滅した。新版画集団から造型版画協会へと続いた版画運動は、1954年に結成された「版画懇話会」の活動に引き継がれていった。同会は版画家、版画研究者らが集まって日本版画の育成・発展を目指したものである。
町田市立国際版画美術館(東京都町田市原町田4-28-1)にて、「版画の青春 小野忠重と版画運動」を2024年3月16日(土)より開催いたします。本展では1930-40年代に活動した「新版画集団」と「造型版画協会」による版画運動を、リーダーであった小野忠重の旧蔵品を中心に紹介します。約300点の作品を通じて、激動の時代に版画に熱中した青年たちがいかにこの時代を超えようとしたか、明治の終わりに登場し30年にも満たなかった創作版画はいかなる「青春期」を迎えたのかを探る機会になるでしょう。
展覧会概要
昭和初期にあたる1930年代の東京は関東大震災から復興し、新しい景観と映画やカフェなどの娯楽文化が流行する近代都市へと変貌を遂げています。その一方で、この年代は経済や文化面などへの国家の統制が強化され、戦時体制へと歩みが進んだ時代でした。
こうした時代に、1932年(昭和7)、小野忠重(おのただしげ・1909-1990)や武藤六郎(むとうろくろう・1907-1995)ら20代はじめの青年たちが「新版画集団」を結成し、「版画の大衆化」を掲げて版画運動を開始します。この後グループは、活動の中で、現代版画には絵画的充実が必要だと実感し、1936年(昭和11)に一旦解散、小野や清水正博(しみずまさひろ・1914-2011)らメンバーの一部が1937年(昭和12)に「造型版画協会」を結成して版画運動を継続・発展させました。
本展覧会では、「新版画集団」と「造型版画協会」のリーダーであった小野忠重の旧蔵品を中心とした約300点の作品によって、これらのグループによる版画運動の諸相を探ります。また、激動の1930-40年代という時代に版画に熱中した青年たちが、如何にこの時代を超えようとしたかを考えます。本展は、明治の終わりに登場し、まだ30年にも満たなかった創作版画の、いわば「青春期」を振り返る機会にもなるでしょう。
みどころ
1.知られざる1930-40年代の創作版画をなんと約300点展示
2.出品作品を通して1930-40年代の日本にタイムスリップ
3.青年版画家たちは、戦争の足跡が聞こえてくる時代をいかに超えようとしたか!
展示構成
第一部: 新版画集団 ―「版画の大衆化」を掲げて
第Ⅰ章: 1932年 ―「新版画集団」結成
1932年4月、藤牧義夫(ふじまきよしお)、武藤六郎、小野忠重、柴秀夫(しばひでお)、吉田正三(よしだしょうぞう)ら20代前半の若者をはじめとした22名が「新版画集団」を結成した。彼らは活動の目標に「版画の大衆化」を掲げ、内容を大衆化すること、そして多くの人々が鑑賞できる方法で発表することを訴えた。この方向性は小野が一時期共鳴していたプロレタリア美術の目標である美術の大衆化や、労働者や農民が集まる工場街や農村で展覧会を開催する活動方針にならったものであった。
第Ⅱ章 1933-36年 ― 版画運動の進展と解散
新版画集団は機関誌『新版画』の発行と年1、2回の展覧会を開催、また研究会や作品批評会の実施、版画集発行を通じて「版画の大衆化」に向けて版画運動を進展させた。また定例展を徳島市、岐阜市そして旧満州の奉天などにも巡回させ、ユニークな問題意識を反映した展覧会も実施した。しかし、活動のなかで「版画の大衆化」に対する集団員の問題意識が変わり、版画の絵画性を充実させることで大衆(鑑賞者)の眼に応える方向性に仕切り直すため、1936年12月に解散した。
第二部:造型版画協会(戦前を中心に) ― 絵画的充実を目指して
第Ⅰ章 1937年 ―「造型版画協会」結成時のメンバーと戦前の作品
1937年3月、新版画集団のメンバーであった小野忠重、末木(荒井)東留(すえき(あらい)とおる)、清水正博、柴秀夫、水船六洲(みずふねろくしゅう)の5名が造型版画協会を結成した。5月には矢田卿二(桂一)(やだけいじ(けいいち))と曽我尾武治(そがおたけはる)が参加して第1回展を開催し、本格的に活動を始めた。協会の目標は、版画もまた「絵画」であるとし、マチエールなど造形性の充実や作品の大型化を重視しながら版画の独自性を追求することにより、結果的に版画への大衆の関心を拡充してゆくことであった。
第Ⅱ章 1938-43年 ― 戦時下での活動 新たな会員と公募出品者
1937年5月に会員のみの第1回展を開催した造型版画協会は、翌1938年4月には公募形式の第2回展を開催した。その後1943年4月に同様の形式で第7回展まで開催したのち、戦争の激化にともなって活動を停止した。この間、国家による厳しい統制によって戦時体制が強化されたことで、美術家の制作や発表も抑圧されたが、協会の会員たちは展覧会出品作品を通じて版画の絵画的充実を模索し、困難を乗り超えて毎年展覧会も開催した。このなかには戦後活躍する斎藤清(さいとうきよし)や北岡文雄(きたおかふみお)も若手として参加していた。
第Ⅲ章 戦後、あらたな時代へ 運動の継続と表現の模索
造型版画協会は1949年12月に戦後初めてとなる展覧会を開催して活動を再開させ、1954年の第12回展まで、東京でほぼ年1回のペースで展覧会を開催した。協会は地方でも展覧会を実施したが、1955年を最後に活動を止め、その後自然消滅した。新版画集団から造型版画協会へと続いた版画運動は、1954年に結成された「版画懇話会」の活動に引き継がれていった。同会は版画家、版画研究者らが集まって日本版画の育成・発展を目指したものである。
作家・出演者 | 小野忠重, 藤牧義夫, 蓬田兵衛門, 水船六洲, 武藤六郎, 清水正博, 宇治山哲平, 畑野織蔵, 斎藤清ほか |
会場 | 町田市立国際版画美術館 (Machida City Museum of Graphic Arts) |
住所 | 194-0013 東京都町田市原町田4-28-1 |
アクセス | 町田駅(JR横浜線)ターミナル口 徒歩12分 町田駅(小田急線)東口 徒歩15分 町田駅(JR横浜線)北口 徒歩15分 |
会期 | 2024/03/16(土) - 05/19(日) |
時間 | 平日 10:00-17:00 ※入場は16:30まで 土曜日・日曜日・祝日 10:00-17:30 ※入場は17:00まで |
休み | 月曜日、4/30、5/7 ※ただし、4/29、5/6は開館 |
観覧料 | 一般 900円 大・高生 450円 中学生以下 無料 ※身体障がい者手帳、愛の手帳(療育手帳)または精神障がい者保健福祉手帳をご提示の方と付き添いの方1名 半額 |
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