黒崎 彰(くろさき あきら、1937-2019)は、浮世絵の技術を活かした木版画作品で知られる版画家です。アーティストとして国内外で広く長く活躍するとともに、版画史研究者・教育者としても大きな業績を残しました。
50年におよぶ制作のなかで、黒崎は表現を何度か大きく変えています。独自のスタイルを確立し評価を得た作家が、新たな表現に飛び込むには勇気が必要です。しかし黒崎には同じところにとどまってはならないという信念がありました。〈浄夜〉、〈赤い闇〉、〈ガイア〉…、次々にシリーズを発表し、その世界を出し切ったら次に踏み出す―それが黒崎の流儀でした。
黒崎の変化にはいくつかの重要な契機がありました。学生時代に結核で生死の境をさまよい、大学では欧米中心の美術教育に違和感をおぼえるなかで幕末の浮世絵に出会いました。油彩を離れ版画の制作に移ったのは、木版画に写実から解放され情念を表現しうる可能性を見出したからです。思う通りの表現ができる技術を身につけるため、職人を訪ね浮世絵の技術を習得すると、伝統と現代的な表現を結びつけた作品は高く評価され、国内外で注目を集めます。
黒崎自身が大きな転機になったと語るのは、中国と韓国への訪問です。欧米とは異なる独自の文化に触れたことで、他国の造形表現と伝統を学び、それぞれの文化を理解することの重要さに気づかされたといいます。韓国紙との出会いは表現方法を変えるとともに、紙そのものへの興味につながっていきました。
表現が変わっても、その作品は常に黒崎彰の作品であり続けました。そうさせたものは何か―初期から晩年までの代表作30点により、黒崎彰の50年の軌跡をご紹介します。
50年におよぶ制作のなかで、黒崎は表現を何度か大きく変えています。独自のスタイルを確立し評価を得た作家が、新たな表現に飛び込むには勇気が必要です。しかし黒崎には同じところにとどまってはならないという信念がありました。〈浄夜〉、〈赤い闇〉、〈ガイア〉…、次々にシリーズを発表し、その世界を出し切ったら次に踏み出す―それが黒崎の流儀でした。
黒崎の変化にはいくつかの重要な契機がありました。学生時代に結核で生死の境をさまよい、大学では欧米中心の美術教育に違和感をおぼえるなかで幕末の浮世絵に出会いました。油彩を離れ版画の制作に移ったのは、木版画に写実から解放され情念を表現しうる可能性を見出したからです。思う通りの表現ができる技術を身につけるため、職人を訪ね浮世絵の技術を習得すると、伝統と現代的な表現を結びつけた作品は高く評価され、国内外で注目を集めます。
黒崎自身が大きな転機になったと語るのは、中国と韓国への訪問です。欧米とは異なる独自の文化に触れたことで、他国の造形表現と伝統を学び、それぞれの文化を理解することの重要さに気づかされたといいます。韓国紙との出会いは表現方法を変えるとともに、紙そのものへの興味につながっていきました。
表現が変わっても、その作品は常に黒崎彰の作品であり続けました。そうさせたものは何か―初期から晩年までの代表作30点により、黒崎彰の50年の軌跡をご紹介します。
作家・出演者 | 黒崎彰 |
会場 | 町田市立国際版画美術館 (Machida City Museum of Graphic Arts) |
住所 | 194-0013 東京都町田市原町田4-28-1 |
アクセス | 町田駅(JR横浜線)ターミナル口 徒歩12分 町田駅(小田急線)東口 徒歩15分 町田駅(JR横浜線)北口 徒歩15分 |
会期 | 2023/12/21(木) - 2024/03/10(日) |
時間 | 平日 10:00-17:00 ※入場は16:30まで 土曜日・日曜日・祝日 10:00-17:30 ※入場は17:00まで |
休み | 月曜日、12月28日〜2024年1月4日、1月9日(火)、2月13日(火) ※ただし1月8日(月祝)、2月12日(月祝)は開館 |
観覧料 | 無料 |
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