会期中、展示替えがあります。
前期 10月7日(土)〜11月5日(日)
後期 11月8日(水)〜12月10日(日)
天保9年(1838)、高田藩(現・新潟県上越市)江戸詰の藩士・橋本直恕の嫡男として誕生した楊洲周延は、若き日より歌川国芳や三代歌川豊国、豊原国周(とよはらくにちか)ら歌川派の絵師に師事し、画技を身につけました。しかし幕末の戊辰戦争では、江戸の高田藩士で結成された神木隊(しんぼくたい)として上野戦争に参戦。榎本武揚ら率いる旧幕府軍に加わり箱館戦争を戦うといった激動のときを過ごします。本格的に絵師としての活動を開始したのは40歳となる明治10年頃でした。刀を絵筆に持ち替えた周延は、優美な美人画から躍動感ある役者絵、戦争絵、歴史画、時事画題まで、まさに「明治」という時代を描き尽くします。
明治に入り写真や石版画など新たな印刷技術が台頭するなか、周延は浮世絵師として何を描き続けたのか――本展では約300点の錦絵、版本、肉筆画を通し、その全体像に迫ります。文明開化と江戸懐古のはざまで変化する時代の空気や、人びとの息づかいを感じていただく機会となれば幸いです。
みどころ
①若き日には高田藩士として戊辰戦争を戦う
旧幕府軍に加わり土方歳三のもとで函館戦争に参戦するなど、激動のときを過ごした異色の絵師です
②描いた浮世絵は約2,000点!
大正元年(1912)に亡くなるまで明治を生き抜き、描き尽くしました
③得意としたのは華やかな美人画
明治26年(1893)のシカゴ・コロンブス万博にも出品した、国民的な浮世絵師でした
その姿は…
“美人錦絵の柔軟性に似合わぬ武士気質の怖い顔の親爺さん”(山中古洞『挿絵節用』1941年)とも。
前期 10月7日(土)〜11月5日(日)
後期 11月8日(水)〜12月10日(日)
天保9年(1838)、高田藩(現・新潟県上越市)江戸詰の藩士・橋本直恕の嫡男として誕生した楊洲周延は、若き日より歌川国芳や三代歌川豊国、豊原国周(とよはらくにちか)ら歌川派の絵師に師事し、画技を身につけました。しかし幕末の戊辰戦争では、江戸の高田藩士で結成された神木隊(しんぼくたい)として上野戦争に参戦。榎本武揚ら率いる旧幕府軍に加わり箱館戦争を戦うといった激動のときを過ごします。本格的に絵師としての活動を開始したのは40歳となる明治10年頃でした。刀を絵筆に持ち替えた周延は、優美な美人画から躍動感ある役者絵、戦争絵、歴史画、時事画題まで、まさに「明治」という時代を描き尽くします。
明治に入り写真や石版画など新たな印刷技術が台頭するなか、周延は浮世絵師として何を描き続けたのか――本展では約300点の錦絵、版本、肉筆画を通し、その全体像に迫ります。文明開化と江戸懐古のはざまで変化する時代の空気や、人びとの息づかいを感じていただく機会となれば幸いです。
みどころ
①若き日には高田藩士として戊辰戦争を戦う
旧幕府軍に加わり土方歳三のもとで函館戦争に参戦するなど、激動のときを過ごした異色の絵師です
②描いた浮世絵は約2,000点!
大正元年(1912)に亡くなるまで明治を生き抜き、描き尽くしました
③得意としたのは華やかな美人画
明治26年(1893)のシカゴ・コロンブス万博にも出品した、国民的な浮世絵師でした
その姿は…
“美人錦絵の柔軟性に似合わぬ武士気質の怖い顔の親爺さん”(山中古洞『挿絵節用』1941年)とも。
作家・出演者 | 楊洲周延 |
会場 | 町田市立国際版画美術館 (Machida City Museum of Graphic Arts) |
住所 | 194-0013 東京都町田市原町田4-28-1 |
アクセス | 町田駅(JR横浜線)ターミナル口 徒歩12分 町田駅(小田急線)東口 徒歩15分 町田駅(JR横浜線)北口 徒歩15分 |
会期 | 2023/10/07(土) - 12/10(日) |
時間 | 平日 10:00-17:00 ※入場は16:30まで 土日祝 10:00-17:30 ※入場は17:00まで |
休み | 月曜休館 ※ただし10月9日(月・祝)は開館し、10月10日(火)は休館 ※11月7日(火)は展示替えのため閉室 |
観覧料 | 一般900円 大・高生450円 中学生以下無料 ※身体障がい者手帳、愛の手帳(療育手帳)または精神障がい者保健福祉手帳をお持ちの方と付き添いの方1名は半額 ※展覧会初日(10月7日)、文化の日(11月3日)は入場無料 ※シルバーデー(第4水曜日:10月25日、11月22日)は65歳以上の方は入場無料 ※各種割引を実施:リピーター割引、着物割引(200円引)、ウェブクーポン割引、タクシー割引、シェアサイクル割引、パスポート割引(以上100円引) |
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