硲(はざま)伊之助(1895–1977)は、フュウザン会や二科会で若い頃より注目された画家でした。一時は文化学院や東京藝術大学で後進の絵画指導にあたり、晩年は色絵磁器の創作に熱意をもって取り組みます。制作活動のかたわら、クールベやゴッホなどの画集の編集や、『ゴッホの手紙』(岩波書店)の翻訳に携わるなど西洋美術の紹介にも尽力した他、師マティスの日本ではじめての展覧会(1951年)実現にむけて作家との交渉に携わる実務家としての一面もあわせもっていました。さらに、裕福な出自をもつ硲が自身の研究のために収集した作品の一部、マティス《コリウール》(1905年)やルソー《イヴリー河岸》(1907年頃)は、現在石橋財団に収蔵されており、当館にとってゆかりの深い作家の一人でもあります。本展は、油彩画、版画、磁器など約60点の作品と資料、硲と関わりのある当館の西洋絵画コレクション約15点を展示し、硲の多様な側面を紹介する東京で初めての回顧展です。
略歴
硲伊之助
1895年、東京市本所区向島に生まれる。1912年、17歳のときにヒュウザン会展で画壇にデビューし、二科賞を二度受賞するなど活躍。1921年に渡欧、マティスと出会い、教えを乞う。滞欧中も春陽会展へ滞欧作を出品。1929年に帰国、春陽会や二科会での活動の他、井伏鱒二『仕事部屋』(春陽堂)の装丁を担当。1934年、「日本現代版画とその源流展」開催のために再渡仏。1936年、一水会を創立。1940年、陸軍省嘱託として中国へ渡る。1941年、文化学院美術部長となる。1945年、東京大空襲により、本郷のアトリエを焼失。1949年東京藝術大学助教授となる。1950年、マティスに招請され渡欧し、マティス展、ピカソ展、ブラック展、ゴッホ展にむけた折衝を行う。帰国後、1951年頃より作陶を学ぶため、たびたび小松に滞在。1955年、訳書『ゴッホの手紙・上』(岩波書店)刊行。1958年、一水会陶芸部を創立。1961年、加賀市吸坂で窯の建設に着手。1964年、渡欧。翌年、アルバニアを訪問。1977年81歳にて死去。
略歴
硲伊之助
1895年、東京市本所区向島に生まれる。1912年、17歳のときにヒュウザン会展で画壇にデビューし、二科賞を二度受賞するなど活躍。1921年に渡欧、マティスと出会い、教えを乞う。滞欧中も春陽会展へ滞欧作を出品。1929年に帰国、春陽会や二科会での活動の他、井伏鱒二『仕事部屋』(春陽堂)の装丁を担当。1934年、「日本現代版画とその源流展」開催のために再渡仏。1936年、一水会を創立。1940年、陸軍省嘱託として中国へ渡る。1941年、文化学院美術部長となる。1945年、東京大空襲により、本郷のアトリエを焼失。1949年東京藝術大学助教授となる。1950年、マティスに招請され渡欧し、マティス展、ピカソ展、ブラック展、ゴッホ展にむけた折衝を行う。帰国後、1951年頃より作陶を学ぶため、たびたび小松に滞在。1955年、訳書『ゴッホの手紙・上』(岩波書店)刊行。1958年、一水会陶芸部を創立。1961年、加賀市吸坂で窯の建設に着手。1964年、渡欧。翌年、アルバニアを訪問。1977年81歳にて死去。
作家・出演者 | 硲伊之助 |
会場 | アーティゾン美術館 (Artizon Museum, 아티즌 미술관, ARTIZON美术馆) 5F 展示室 |
住所 | 104-0031 東京都中央区京橋1-7-2 |
アクセス | 日本橋駅(東京メトロ銀座線, 東西線, 都営浅草線)B1出口 徒歩5分 京橋駅(東京メトロ銀座線)6, 7番出口 徒歩5分 東京駅(JR)八重洲中央口 徒歩5分 |
会期 | 2025/03/01(土) - 06/01(日) |
時間 | 10:00-18:00 ※入館は閉館の30分前まで ※祝日を除く毎週金曜日は20:00まで |
休み | 月曜日、5月7日 ※ただし、5月5日(月)は開館 |
観覧料 | ウェブ予約チケット 1,800円 ※クレジット決済のみ 窓口販売チケット 2,000円 大学生・専門学校生・高校生 無料(要ウェブ予約。入館時に学生証か生徒手帳をご提示ください) 障がい者手帳をお持ちの方と付き添いの方1名 無料(予約不要。入館時に障がい者手帳をご提示ください) 中学生以下の方 無料(予約不要。入館時に学生証か生徒手帳をご提示ください) ※日時指定予約制 ※予約枠に空きがあれば、美術館窓口でもチケットをご購入いただけます。 ※この料金で同時開催の展覧会を全てご覧いただけます。 同時開催 ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ(6階 展示室) 石橋財団コレクション選 コレクション・ハイライト(4階 展示室) |
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