「昭和」モダンのアートシーンを飾ったモザイク作家・板谷梅樹(いたやうめき、1907-1963)。かつての日劇のモザイク壁画、瀟洒な飾箱や飾皿、帯留やペンダントヘッドなど、絵画や模様を表出した独特のエキゾチックなモザイク作品は、どれも清新な色彩と可憐な意匠にあふれています。
近代陶芸の巨匠・板谷波山(いたやはざん、1872-1963)の息子であった梅樹は、父が砕いた陶片の美しさに魅了され、20代半ばから陶片を活用したモザイク画の制作を志します。その代表作は旧日本劇場一階玄関ホールの巨大なモザイク壁画(1933年作、原画:川島理一郎)でした(現存せず)。戦後復興の中で残された梅樹の作品は決して多くはありませんが、近年その再評価の機運が高まっています。
本展は、梅樹作品を一堂に集めた初の展覧会となります。昭和29(1954)年に制作された現存する最大の壁画《三井用水取入所風景》は、本展の見どころのひとつといえるでしょう。住友コレクションの板谷波山作品と共に、カラリストと称された波山と梅樹の美の競演をお楽しみください。併せて、住友コレクションの茶道具をご紹介いたします。(出品点数 約100点、展示替無し)
本展のみどころ
1.美術館初の板谷梅樹回顧展
板谷梅樹は、明治40(1907)年東京・田端に陶芸家・板谷波山の五男として誕生しました。18歳で明治大学を中退し、単身ブラジルへ渡航。ドイツ人経営の農場で働くものの、一年後に帰国します。帰国後、梅樹は波山の友人で、日本のステンドグラスの先駆者・小川三知の工房に出入りするうちに、ステンドグラスやモザイクに興味を持ったに違いありません。
昭和8(1933)年、日本劇場一階玄関ホールのために、陶片などを用いて高さ3mの巨大モザイク壁画を制作しました(現存せず)。第14回帝展に同作を元にした壁画を出品し初入選し、以降、日展を中心にモザイク作家として活動しました。昭和38(1963)年5月5日、逝去。
昭和モダニズムを彷彿とさせる鮮やかな色彩の作品で、モザイク作家として活躍した梅樹の作品を紹介します。
2.現存する梅樹作品最大のモザイク壁画
高さ約370㎝におよぶ《三井用水取入所風景(みいようすいとりいれじょふうけい)》は、昭和29(1954)年に横浜市の依頼で梅樹が制作し、同年、第10回日展にも出品された作品です。
本作は、明治20(1887)年、日本初の近代水道施設としてつくられた三井用水取入所を中心に、富士山麓の豊かな自然が表現されました。富士山の山麓に位置する相模川と道志川の合流地点に佇むレンガ造りの三井用水取入所は、蒸気機関で駆動する揚水ポンプを使い水を汲み上げる画期的な施設でした。
その壮大な姿をお楽しみください。
3.父・板谷波山との競演
梅樹の父・波山は、理想の作品づくりのためには一切の妥協を許さず、端正で格調高い作品を数多く手がけました。かつて板谷波山の田端旧宅から、波山が明治39(1906)年に構築した窯跡が発掘されました。窯跡からは、明治時代末期のデビュー当時の作品、大正時代の彩磁、葆光彩磁、円熟期の青磁、白磁、鉄釉磁、茶道具などおびただしい陶片が発見されました。それと共に発見されたのは、梅樹が手掛けたモザイクやステンドグラスの材料にされた素材類でした。梅樹は幼い頃から波山が焼損じの美しい破片を土中に埋めるのを度々見て、色々の形に砕いたり、寄せ集めて玩んだりしていたそうです。この幼少期の体験がのちにモザイク作家・板谷梅樹誕生へと繋がりました。波山の田端旧宅跡から発見されたこれらの陶片やガラス片は、モザイク作家として命を燃やした梅樹が生きた確かな証しでもあります。
波山の代表作の一つ、重要文化財 《葆光彩磁珍果文花瓶》は、大正6(1917)年波山芸術を愛した住友家15代当主住友吉左衞門友純(号・春翠、1864-1926)によって購入され、泉屋博古館東京に継承されています。春翠は、波山作品と共に妻・まるや長男・菊男の作品なども入手しました。本展では、板谷ファミリーの作品も紹介します。
展示構成(予定)
第Ⅰ章:「モザイクの世界で」
板谷梅樹は父・波山が砕いた陶片の美しさに魅了され、子供の頃から陶片を色々な形に砕いたり、寄せ集めて遊んでいたことがモザイク画制作のきっかけとなった、と語っています。出世作ともいえる旧日本劇場のモザイク壁画は、古代ギリシアに着想を得た洋画家・川島理一郎(1886-1971)が下絵を手掛けた大作です。
梅樹は、白磁や青磁など波山の陶片をアクセントに、様々な陶片やガラス片を組み合わせ本作を制作しました。当時大変な話題となり、モザイク作家・板谷梅樹の存在を印象づけます。その後、帝展(帝国美術院展覧会)、日展(日本美術展覧会)などに飾筥などのモダンな工芸作品を出品し、晩年は日展評議員としてその地位を確立します。梅樹が目指した美しいモザイクの世界をどうぞお楽しみください。
第Ⅱ章: 「日常にいろどりを」
板谷梅樹は生涯を通じてモザイク画のみならず、日常をいろどる身近な作品を制作しました。
昭和2(1927)年、父・波山と東京美術学校時代の同期であった小川三知(1867-1928)のもとで 、アメリカ式(ティファニー方式)ステンドグラスを学びます。技術を学び始めてまもなく、個人宅のために、三知と共にアール・デコ風のステンドグラス「花」を手掛けます。当時は、大正12(1923)年の関東大震災を契機に、日本人の住宅環境が急激に変化した時代でした。
昭和12(1937)年、30歳頃にはガラス作家の各務鑛三や鋳金作家の香取正彦など若手工芸家グループで「六色会」を結成し、銀座・資生堂ギャラリーで展覧会を開催します。この頃より、関東在住の工芸家団体「東陶会」、「茨城工芸会」など美術展への出品を続けつつ、銀座・和光にて和装用の帯留、洋装用のペンダントなどを販売しました。色とりどりのかけらを集めたモダンなアクセサリーは、現在でも色あせることなく、その輝きをとどめています。
第Ⅲ章:「板谷ファミリーと住友コレクション」(泉屋博古館東京のみ)
近代陶芸の巨匠 板谷波山(本名・板谷嘉七)は、明治5(1872)年茨城県下館町(現・筑西市)に生まれました。波山は、明治22年東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻科に入学、岡倉天心や高村光雲に師事しました。明治36年には東京・田端の地に移り、陶芸家「波山」として数々の名作を生みだします。昭和9(1934)年帝室技芸員に任命され、昭和28年には陶芸家初の文化勲章を受章しました。
波山は、理想の作品づくりのためには一切の妥協を許さず、端正で格調高い作品を数多く手がけました。代表作の一つ、重要文化財 《葆光彩磁珍果文花瓶(ほこうさいじちんかもんかびん)》は、大正6(1917)年波山芸術を愛した住友春翠が入手し、作品は泉屋博古館東京に継承されています。
本章では、春翠が収取した板谷波山を中心とした板谷ファミリーの作品、そして板谷波山記念館が所蔵する板谷波山の茶道具をご紹介します。
特集展示 住友コレクションの茶道具(泉屋博古館東京のみ)
住友コレクションの茶道具類の多くは、住友春翠によって収集されました。明治・大正期には政財界の間で、同好の士と茶の湯の世界を楽しむ人々が輩出され、春翠もその一人でした。高橋箒庵、野村得庵、嘉納鶴翁、三井泰山など財界人や住友の役職員、さらに日本画家の上田耕甫・能役者の大西亮太郎など芸術家たちを招き、茶の湯を楽しみました。
住友春翠は、歴代の住友家当主が集めた茶道具に自らの好みの道具を取り合わせ、客人をもてなしました。《小井戸茶碗 銘 六地蔵》は12代住友家当主・友親が晩年入手したもののお蔵入りしてしまいました。春翠は友親の追善供養の茶会で披露し、改めて小井戸茶碗の名碗として認識されました。江戸時代前期に活躍した京焼の名工・仁清の作品など典雅で端正な作品を収集しました。近衛家に伝来した仁清の《唐物写十九種茶入》など、春翠の美意識の一端を感じ取っていただければと思います。
近代陶芸の巨匠・板谷波山(いたやはざん、1872-1963)の息子であった梅樹は、父が砕いた陶片の美しさに魅了され、20代半ばから陶片を活用したモザイク画の制作を志します。その代表作は旧日本劇場一階玄関ホールの巨大なモザイク壁画(1933年作、原画:川島理一郎)でした(現存せず)。戦後復興の中で残された梅樹の作品は決して多くはありませんが、近年その再評価の機運が高まっています。
本展は、梅樹作品を一堂に集めた初の展覧会となります。昭和29(1954)年に制作された現存する最大の壁画《三井用水取入所風景》は、本展の見どころのひとつといえるでしょう。住友コレクションの板谷波山作品と共に、カラリストと称された波山と梅樹の美の競演をお楽しみください。併せて、住友コレクションの茶道具をご紹介いたします。(出品点数 約100点、展示替無し)
本展のみどころ
1.美術館初の板谷梅樹回顧展
板谷梅樹は、明治40(1907)年東京・田端に陶芸家・板谷波山の五男として誕生しました。18歳で明治大学を中退し、単身ブラジルへ渡航。ドイツ人経営の農場で働くものの、一年後に帰国します。帰国後、梅樹は波山の友人で、日本のステンドグラスの先駆者・小川三知の工房に出入りするうちに、ステンドグラスやモザイクに興味を持ったに違いありません。
昭和8(1933)年、日本劇場一階玄関ホールのために、陶片などを用いて高さ3mの巨大モザイク壁画を制作しました(現存せず)。第14回帝展に同作を元にした壁画を出品し初入選し、以降、日展を中心にモザイク作家として活動しました。昭和38(1963)年5月5日、逝去。
昭和モダニズムを彷彿とさせる鮮やかな色彩の作品で、モザイク作家として活躍した梅樹の作品を紹介します。
2.現存する梅樹作品最大のモザイク壁画
高さ約370㎝におよぶ《三井用水取入所風景(みいようすいとりいれじょふうけい)》は、昭和29(1954)年に横浜市の依頼で梅樹が制作し、同年、第10回日展にも出品された作品です。
本作は、明治20(1887)年、日本初の近代水道施設としてつくられた三井用水取入所を中心に、富士山麓の豊かな自然が表現されました。富士山の山麓に位置する相模川と道志川の合流地点に佇むレンガ造りの三井用水取入所は、蒸気機関で駆動する揚水ポンプを使い水を汲み上げる画期的な施設でした。
その壮大な姿をお楽しみください。
3.父・板谷波山との競演
梅樹の父・波山は、理想の作品づくりのためには一切の妥協を許さず、端正で格調高い作品を数多く手がけました。かつて板谷波山の田端旧宅から、波山が明治39(1906)年に構築した窯跡が発掘されました。窯跡からは、明治時代末期のデビュー当時の作品、大正時代の彩磁、葆光彩磁、円熟期の青磁、白磁、鉄釉磁、茶道具などおびただしい陶片が発見されました。それと共に発見されたのは、梅樹が手掛けたモザイクやステンドグラスの材料にされた素材類でした。梅樹は幼い頃から波山が焼損じの美しい破片を土中に埋めるのを度々見て、色々の形に砕いたり、寄せ集めて玩んだりしていたそうです。この幼少期の体験がのちにモザイク作家・板谷梅樹誕生へと繋がりました。波山の田端旧宅跡から発見されたこれらの陶片やガラス片は、モザイク作家として命を燃やした梅樹が生きた確かな証しでもあります。
波山の代表作の一つ、重要文化財 《葆光彩磁珍果文花瓶》は、大正6(1917)年波山芸術を愛した住友家15代当主住友吉左衞門友純(号・春翠、1864-1926)によって購入され、泉屋博古館東京に継承されています。春翠は、波山作品と共に妻・まるや長男・菊男の作品なども入手しました。本展では、板谷ファミリーの作品も紹介します。
展示構成(予定)
第Ⅰ章:「モザイクの世界で」
板谷梅樹は父・波山が砕いた陶片の美しさに魅了され、子供の頃から陶片を色々な形に砕いたり、寄せ集めて遊んでいたことがモザイク画制作のきっかけとなった、と語っています。出世作ともいえる旧日本劇場のモザイク壁画は、古代ギリシアに着想を得た洋画家・川島理一郎(1886-1971)が下絵を手掛けた大作です。
梅樹は、白磁や青磁など波山の陶片をアクセントに、様々な陶片やガラス片を組み合わせ本作を制作しました。当時大変な話題となり、モザイク作家・板谷梅樹の存在を印象づけます。その後、帝展(帝国美術院展覧会)、日展(日本美術展覧会)などに飾筥などのモダンな工芸作品を出品し、晩年は日展評議員としてその地位を確立します。梅樹が目指した美しいモザイクの世界をどうぞお楽しみください。
第Ⅱ章: 「日常にいろどりを」
板谷梅樹は生涯を通じてモザイク画のみならず、日常をいろどる身近な作品を制作しました。
昭和2(1927)年、父・波山と東京美術学校時代の同期であった小川三知(1867-1928)のもとで 、アメリカ式(ティファニー方式)ステンドグラスを学びます。技術を学び始めてまもなく、個人宅のために、三知と共にアール・デコ風のステンドグラス「花」を手掛けます。当時は、大正12(1923)年の関東大震災を契機に、日本人の住宅環境が急激に変化した時代でした。
昭和12(1937)年、30歳頃にはガラス作家の各務鑛三や鋳金作家の香取正彦など若手工芸家グループで「六色会」を結成し、銀座・資生堂ギャラリーで展覧会を開催します。この頃より、関東在住の工芸家団体「東陶会」、「茨城工芸会」など美術展への出品を続けつつ、銀座・和光にて和装用の帯留、洋装用のペンダントなどを販売しました。色とりどりのかけらを集めたモダンなアクセサリーは、現在でも色あせることなく、その輝きをとどめています。
第Ⅲ章:「板谷ファミリーと住友コレクション」(泉屋博古館東京のみ)
近代陶芸の巨匠 板谷波山(本名・板谷嘉七)は、明治5(1872)年茨城県下館町(現・筑西市)に生まれました。波山は、明治22年東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻科に入学、岡倉天心や高村光雲に師事しました。明治36年には東京・田端の地に移り、陶芸家「波山」として数々の名作を生みだします。昭和9(1934)年帝室技芸員に任命され、昭和28年には陶芸家初の文化勲章を受章しました。
波山は、理想の作品づくりのためには一切の妥協を許さず、端正で格調高い作品を数多く手がけました。代表作の一つ、重要文化財 《葆光彩磁珍果文花瓶(ほこうさいじちんかもんかびん)》は、大正6(1917)年波山芸術を愛した住友春翠が入手し、作品は泉屋博古館東京に継承されています。
本章では、春翠が収取した板谷波山を中心とした板谷ファミリーの作品、そして板谷波山記念館が所蔵する板谷波山の茶道具をご紹介します。
特集展示 住友コレクションの茶道具(泉屋博古館東京のみ)
住友コレクションの茶道具類の多くは、住友春翠によって収集されました。明治・大正期には政財界の間で、同好の士と茶の湯の世界を楽しむ人々が輩出され、春翠もその一人でした。高橋箒庵、野村得庵、嘉納鶴翁、三井泰山など財界人や住友の役職員、さらに日本画家の上田耕甫・能役者の大西亮太郎など芸術家たちを招き、茶の湯を楽しみました。
住友春翠は、歴代の住友家当主が集めた茶道具に自らの好みの道具を取り合わせ、客人をもてなしました。《小井戸茶碗 銘 六地蔵》は12代住友家当主・友親が晩年入手したもののお蔵入りしてしまいました。春翠は友親の追善供養の茶会で披露し、改めて小井戸茶碗の名碗として認識されました。江戸時代前期に活躍した京焼の名工・仁清の作品など典雅で端正な作品を収集しました。近衛家に伝来した仁清の《唐物写十九種茶入》など、春翠の美意識の一端を感じ取っていただければと思います。
作家・出演者 | 板谷梅樹, 板谷波山 |
会場 | 泉屋博古館東京 (Sen-Oku Hakukokan Museum Tokyo) |
住所 | 106-0032 東京都港区六本木1-5-1 |
アクセス | 六本木一丁目駅(東京メトロ南北線)泉ガーデン1F出口 徒歩3分 神谷町駅(東京メトロ日比谷線)4b出口 徒歩10分 溜池山王駅(東京メトロ銀座線, 南北線)13番出口 徒歩10分 |
会期 | 2024/08/31(土) - 09/29(日) |
時間 | 11:00-18:00 ※金曜日は19:00まで開館 ※最終入館は閉館の30分前まで |
休み | 月曜日、9月17日(火)、9月24日(火) ※9月16日(月・祝休)、23日(月・祝休)は開館 |
観覧料 | 一般 1,200円 高大生 800円 中学生以下 無料 障がい者手帳等ご呈示の方はご本人および同伴者1名 無料 |
SNS | |
ウェブサイト |